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help RSS 小林 勇著・蝸牛庵訪問記

<<   作成日時 : 2008/06/28 03:40   >>

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「蝸牛庵訪問記」・小林 勇著(講談社文芸文庫)

蝸牛庵というのはね、あれは家がないということさ。身一つでどこへでも行ってしまうということだ。昔も蝸牛庵、今もますます蝸牛庵だ』 (昭和13年8月9日)

小林 勇(明治36―昭和56)は岩波書店社員であり、戦後には同社専務取締役になった人である。また随筆家であり絵画も嗜んだ。「蝸牛庵訪問記」は小林が初めて露伴宅を訪れたときから臨終までの日記である。初訪問は大正15年の春、著者23歳のときである。この時は原稿の催促であったが、簡単にできていないと玄関で帰された。数度画像の訪問でようやく上げられた。露伴の長男一郎が同年11月亡くなって悔やみに行ったときである。以降、露伴に信用され露伴臨終まで付き合いが続く。
すでに文壇の長老で第一人者であった露伴は、なにかと知己になりたい人の訪問があるが、そう容易く打ち解けるような人ではない。人物を見てからのことで、試験を通った人のみが付き合いを許されるのである。狷介孤高で旧時代の侍気質を持った人だからやっかいだ。さらに漢文学の素養は鴎外漱石を凌ぐ。下手に話せばピシャリとやられる難物である。しかし危険を承知の上で、露伴の原稿の欲しがる輩は絶えなかったようだ。やはり、露伴の文章が雑誌に載るのはステータス・シンボルであったからだろう。さすがは文豪露伴である。小林 勇はたいしたもので、後には岩波茂雄が露伴に何か頼み事があるときは、小林を通して話をつけるほどなのだ。
「蝸牛庵訪問記」は露伴晩年の日常や会話を拾ったもので、数少ない露伴の記録である。日記の性格上、読みにくい点はあるが貴重な資料だ。

人間というものは、いくら長生きしても、二十五までの方を長く感じるものだ。そういうことをいった人があるが、確かに二十五からあとの方が短い。この言葉は誰がいったのか随分探してみたが判らなかった。君などまだそんなことは考えまいが、わたしなど実に風車の如く一年くらいすぎてしまう。今年は七十だからまた六十台とかわった感慨があろうというものさ』 (昭和11年2月11日)

本当にそうだ。これは時間とか季節、生活の慣れからくるものなのだろう。露伴も気弱なことをしばしば口にするようになる。文の将来を特に心配していたことがうかがえる。さて、この日記が暗くなってくるのは昭和17年あたりからである。戦争という外部の変化もあるが、露伴の体調もこの頃を境に悪くなっていく。昭和22年7月30日露伴没までの日記は緊迫の日々が書かれている。著者小林 勇にとっても戦前戦後の数年は慌しいものであった。昭和20年には妻子が信州に疎開、自らは治安維持法の嫌疑で東神奈川警察署に拘禁、昭和21年3月岩波茂雄没、岩波書店支配人代理人となる。時局が小林を露伴から引き離すことになった。忙しい合間に露伴の転居先千葉県市川市に合いに行く。いよいよ露伴も寝たきり老人という有様に変わり果てる。ただ露伴の精神は最期までしかっりしていた。壮絶な露伴終焉の様子は幸田文の「父―その死―」(新潮文庫)にくわしい。画像
これは老人介護の凄まじい記録である。なにしろ物のない時代のことで、氷一つ獲るにも切符が必要で、それでもあればよいほうであった。露伴最晩年は小林 勇より土橋利彦が身近にいたという。土橋は小林によれば昭和17年頃から幸田家に出入りし、第一の仕事が「音幻論」の口述であった。昭和22年には病床の露伴と土橋の口述筆記により「評釈芭蕉七部集」が完成した。土橋利彦、本名塩谷賛(しおたに さん)露伴研究家である。「幸田露伴」「露伴と遊び」他がある。
小林の露伴最晩年の接し方は無愛想である。これは小林にも文の文章にも見られる。小林が諸事情により露伴に係りきりになっていられなかったためだと思う。
文の「父―その死―」は露伴の資料として書いたものである。それが長寿高齢化の現代、新しい記録文学になってしまったのはイロニーである。文には父と文豪露伴という側面があり決しておろそかにはできなかったのである。ついでながら、市川には永井荷風も疎開していた。露伴の葬儀を遠くから見守っていたのである。このころの荷風は散策の日々であった。露伴が文に奨めた唯一の小説が荷風の「墨東綺譚」で―すずしい文章―と評している。

森という男は蓄財の好きなやつさ。心は冷たい男だ。なにもかも承知していて表に出さぬ。随分変なことがあったよ』(昭和11年4月27日)

この日は岩波から「鴎外全集」が出るという話から始まって、ひどく鴎外をやっつけている。この二人、孤高の文学者で似たところもあったのだろう。露伴も変なやつだが、それが変なやつと言うのだから相当なものだ。「めざまし草」の合評では幸田露伴、森鴎外、斎藤緑雨で「三人穴語」なるものをやっている。明治29年には観潮楼の庭で仲良く写真に収まっているのだが…画像

昭和16年のことだ。露伴は75歳になった。この頃、歯が悪く歯医者にかかっていたという。ちょうど晩年の写真にある見事な顎鬚になったのもこのころだ。鬚の話にでもなったのだろう。『鬚は歯を保護するからのばした方がいい』と話したという。こういう話は聞いたことはないが、露伴みたいな人が云えば、またシナの典籍かなにかに由来があって、そういうこともあるかもしれないと思える。普通の会話でもシナ文学からの引用が多くて小林もわからないことがあったと述懐している。
付き合いの難しい露伴であるが、小林 勇、土橋利彦、武見太郎(主治医)は別として、多くの人が蝸牛庵の門をくぐった事が記されている。寺田寅彦、斎藤茂吉、岩波茂雄、中谷宇吉郎の名はよく出て来る。昭和11年、寺田寅彦死去の際には哀れんで「思想」の寺田寅彦追悼号に「寺田君をしのぶ」という文を寄せている。小林が初めて蝸牛庵を訪れた時には谷崎潤一郎があとから来た。

「五重塔」を君のところの文庫へ入れてからたびたび千部二千部と印をとりに来るが、よく売れるもんだ。そうして二十円とか三十円入ってくるのだが、それを見るたびにおかしくて仕方がない。あれは「国会」というのに書いたものだが、青木嵩山堂という本屋が出さしてくれというので承知した。そのときに本は印税にしておくと楽しみだという人があったので、印税にしたら二十円入った。それっきり売れなかったが、そのうち嵩山堂の主人が来て、あれは売れないから、あと私にくれろというので、そうか、やってもいいと返事をした。そのあと無印税になったら急に売れ出したそうだ。嵩山堂のやつずるいやつでわざわざ品切にしておいたのだ。そのころは本などみな少しの金で売ってしまったのだ。東亜堂という本屋には番頭に悪いのがいて、わたしの本に勝手に自分で変な判をおして、印税をちょろまかしてしまった。東亜堂も嵩山堂もつぶれてしまったので、買戻そうとしたら、みんな売ったときより高いことをいう。その使いにいったのが春陽堂の古い番頭で木呂子斗鬼次というのだが、その談判には閉口していた。「五重塔」は二十円で売ったのだから、二十円で買戻せると私は考えていたのに、とうとう百五十円とられてしまった』 (昭和13年3月4日)

著作権を売ってしまうなどは今では考えられないが、情報が少なかったせいであろう。因みに「五重塔」は岩波文庫第一回の配本から今日まで続いている。戦時中の慰問袋にも入った作品である。露伴の本は岩波茂雄との関係で岩波書店から多くでている。もちろん小林 勇の功績は大きいだろう。画像

伝記を書けば金になることはわたしも承知しているが、これは徳富にでももっていけばたちまち承知するだろう』 (昭和9年)

上は小林が「渋沢栄一伝」の執筆を依頼したときに返って来た言葉である。これは渋沢家と周辺の人が露伴に渋沢伝を書いてもらいたいという希望があって、岩波茂雄に頼みに来たが、岩波が出向いても承諾しないだろうという判断から小林にまかせられたのである。やっと催促なしという約束で昭和14年に完成した。最初から気乗りのしない仕事であったようだ。右は、わたしが渋沢栄一について調べる必要があって購入(重版)したものだが三分の一で挫折した。意外にも渋沢栄一についてまとまったものは少ない。露伴の渋沢栄一伝は資料としては不向きで、これは評伝というものだ。

玄関へ出たころ、先生が上からやけくそのような大きな声で、「ああ、そうかえ、そうかえ、君は酒のみだから、それを貰うというのかえ」と怒鳴った』 (昭和13年2月23日)

夕方になって小林が帰ろうとしたら、露伴が箱の中から巻紙のようなものを取り出した。酒という字の始まりから今日までを書いたものであった。字数は百二十あまりあるという。思わず小林は、「これはぼくが頂戴していきます」といって内ポケットにいれ玄関を出た。これは文の婚家が酒屋であったので、そこの需によって書いたものだという。小林の持ち帰ったのは、下書きであった。大胆なことをするものだ。これは見事なもので、一部が「露伴小説」(1988年岩波書店刊・全6刊)の扉にある。

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