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help リーダーに追加 RSS 永山則夫著・人民をわすれたカナリアたち

<<   作成日時 : 2008/07/09 13:50   >>

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「人民をわすれたカナリアたち」・永山則夫著(河出文庫)

以前に、私は自己自身を客観的にみようと企てたが(そしてこれは現在でもそうであるが)、それはなに故にそうしなければならなかったのか。それの答えとするものは顕著に簡単である、つまりそれは死刑という憂懼の思惑から逃避しようと意図したからに他ならない。または、はっきり言ってそれを潜在的に恐怖したからかもしれない。
(昭和46年5月24日・ノート13・「人民をわすれたカナリアたち」)

前著「無知の涙」が昭和44年7月2日から昭和45年10月19日までノート10冊、「人民をわすれたカナリアたち」は続編で昭和45年11月4日から昭和46年10月6日までノート4冊の日記といおうか雑筆である。画像
「無知の涙」では『ノート君、私は君を擬人化して書いていくつもりだ』にはじまり、『学問の卒業時点とは、敵となるか否かにかかわらず、マルクス経済学を理解することにある』で結ばれている。東京地裁が死刑判決を出したのは昭和54年7月である。冒頭「以前に〜」はすでに死刑を覚悟した永山のノートを書く理由が書かれた数少ない部分である。いずれも連続射殺事件について言及した部分は極めて微量である。事件が昭和43年で、事件から日も浅いことも影響しているのだろう。永山自身にとっても説明が出来なかったのでなかろうか。彼が獄中で勉学に励んだのも、死刑という現実味を帯びた事実から逃避するための生理作用であったかもしれない。

わたしは永山の写真は二葉しか知らない。一葉は逮捕時のもので集まった報道陣のなか、刑事に両腕を掴まれた写真で、下向きで虚ろな目をした少年のもの。もう一葉は刑務所で撮られたものであろう、運転免許書の写真のようなものである。こちらは自信にあふれた学者然とした写真である。永山は青森県の中学を卒業後、集団就職で上京、中学時代は欠席しがちで逮捕時には字もほとんど書けなかったと言われている。(これはマスコミが大げさに喧伝したのではあるまいか?真相はわからない)逮捕時にはそんな感じもするが、後年には死刑囚というより左翼の思想犯といった顔付きに変貌を遂げている。この変貌の手がかりになるのが「無知の涙」と「人民をわすれたカナリアたち」である。「無知の涙」では、ノートの方向性が定まっておらず、読書感想あり、詩があり、その他諸々自虐的文章ありだ。「人民の〜」では読書感想を中心にして自分の考えを考察するに至っている。ノートのスタンスが定まったようだ。しかし、いかにも読みにくい、理解しにくいのは同じである。これは、永山にとっては学習帳といった意味合いがあったため、また公表を考えていなかったためであろうと思う。あるいは無知なる者から、いわゆる大学出のブルジョワに対する挑戦であったかもしれない。前著「無知の涙」では「近頃、大学出の看守も驚く本を読むようになった」という記述がある。まさに大学出も驚くような成長過程のデモンストレーションかもしれない。
が、とにかく驚くべきは、ノートに文字をぎっしり書き込んだということだ。刑務所内ではノートはどういう具合にわたされるのかは知らないが、貴重品には違いあるまい。一行とて無駄にはできないという思いがあったのだろう。ノート一冊使いこなすのは、案外難しいものだ。しかも訂正個所などほとんどないようである(文庫の写真で見る限り)から、熟考して書いたというより思考のまとめとして即興的に書いたのではないかと思われる。

『 ”貧困ただそれだけ=資本主義的生産様式から形成される現代日本帝国主義国家形態=「無知の涙」、これが犯罪方程式だ” 』 (昭和46年3月4日)
これは三里塚の闘争(日本帝国主義体制と農民の闘争という)を考えての感想である。彼の主張は帝国主義が支配する資本家と支配される労働者― 貧困層が犯罪の温床であり、生産手段を資本家から奪回しないかぎり犯罪はなくならないという。これは前著から引き続いている。より強固になったようである。時代を考えれば、東西冷戦の真最中であり、おりからの全共闘などもあって、「資本論」にロマンを抱いたとしても不思議ではない。それよりも永山の家庭環境からくる差別(自伝小説「木橋」にくわしい)がマルクス主義にむかわせたものと思う。あらゆる差別を解消しないかぎり犯罪はなくならない。大元は日本帝国主義であるという…だから打倒するべきだと。
こういう考え方も悪いとは言わないが、永山の犯罪に政治的なものがあったとは思えない。成り行きの逃走劇だ。ここが彼にとってのアキレス腱であろう。画像
自分を客観化して、自己の犯罪を現体制から必然的に起ったものであるという文章を公にしたことが永山にとって不運であった。裁判官や検事は当然目を通しただろう。事実、本年4月(5月?)の毎日新聞紙上で永山に死刑判決を下した裁判官の談話がある。それによると犯罪を社会のせいにしたことが心象を悪くしたそうである。これだけで死刑か無期か決まるものではないが不利に働いたことは事実だ。

永山の著作が世に出るきっかけは井上光晴である。井上氏が主宰する雑誌「辺境」に永山の文章を載せたのだ。はっきり言えば、永山がただのルンペンであったなら、これらの文章は本にする性質のものではないだろう。”連続射殺魔”の肩書きがあるからである。(白状しよう。わたしものぞき見したい卑猥な読者だ)あの連続射殺魔がマルクス経済学を勉強?これだけで雑誌のトピックとしては十分だ。雑誌も商業だ、しかたがない。左系の雑誌でありながら、実はブルジョワ雑誌である。永山にとっても好都合であった。”金の卵たち”に読んでもらうにはブルジョワに大いに宣伝してもらうに限る。水面下で両方の利害が一致したとみてよい。本来ならば永山は井上光晴に感謝するべきであろうが、昭和46年5月14日分で罵倒している。『…井上光晴などをはじめとするプロレタリアートからの知識人を憎悪する、また軽蔑する。彼らはプロレタリアの仮面を覆ったブルジョワ的ハイエナでしかない!
所詮、プロレをネタにしている行動しない輩ということだろう。永山には奇妙な自信がある。それは殺人行為を犯したことである。永山によれば殺人を犯したのは、極貧と無知だからである。自分をそのような環境に陥れたのは他でもない資本主義体制である。従って、敵は資本主義である。まさに自分こそは被害者であり犠牲者であるという。原体験者として獄中で国家と闘っている最中だ。井上のようなお坊ちゃんになにがわかるか!こんなところだと思う。
永山事件は単なる殺人だ、テロルと関係がない。彼は彼の行為を何とかテロルに昇格させて、資本主義体制により惹き起された悲劇に転化しようという試みだと思う。原因は社会にありとする。もしかしたら、彼は無罪を信じていたかもしれない。このあと、死刑判決が出るが、彼の主張する敵側の判決に過ぎないからだ。

しかし、いかにも乱暴だ。共産主義であろうと、暴力が是認されることはない。永山に影響を与えたのは「資本論」である。永山独自の世界観で「資本論」を解釈した可能性が高い。永山は自分の性格を分析している。
彼(高岡忠洋※)も私と同様、よく咀嚼もしないで自分のある程度規定された見識・判断力 (憶測力) で物事を始末してしまう性格の持ち主らしい』 (ノート14)
わたしは、独房という特殊な環境で「資本論」をひも解いた永山を敬服する。未決囚という不安定な立場で精神を集中させるのは容易なことではないと思う。ただ独学ということもあって、また彼独自の思い込みの烈しい性格もあって、彼独自の論理が出来上がったのではないだろうか。  ※「新日本文学」で「無知の涙」を批評した人物

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