マルジナリア

アクセスカウンタ

help RSS 葉山嘉樹著・セメント樽の中の手紙

<<   作成日時 : 2008/10/08 19:44   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 4

「セメント樽の中の手紙」・葉山嘉樹著(角川文庫)

「セメント樽の中の手紙」・大正15年1月「文芸戦線」
あまりにも短いので驚いた。文庫本で6ページの小品である。1970年から80年にかけて高校一年生向けの「国語」の教科書に採用されていたという。しかし記憶にない。教科書会社によって違うのだろう。これはどういう目的で教科書に採用されたのであろうか。わたしは夢野久作作品集にこれが、こっそりまぎれこんでいても久作の作とし画像て疑わないだろう。プロレより怪奇小説の面が強烈である。
あえて、プロレらしいところは破砕機の中に労働者が落ちても機械の運転を止めないところだ。(いくら大正時代でもこれは考えられない) 労働者の生命よりも1秒1分でも機会を休息させることによる損失のほうが大きいと考える経営者。一労働者の死など資本主義にあっては価値がないということだ。これが今のワーキングプアとどういう関係があるかといえば、残念ながら接点は少ない。過酷な労働にもかかわらず低賃金、将来の保障なしで病気怪我でもしたら会社から追い出されるということぐらいが接点である。まず、プロレの本質は無産者階級による革命で独占資本の排除にある。小説は無産者階級に対する啓蒙が目的だ。プロレの背後には社会主義とか共産主義が見え隠れしているのだ。果たしてワーキングプアに現代日本の資本主義に対して革命をしようと思う者がいるのだろうか。いくら現状が悪くても社会主義や共産主義の国家よりは資本主義のほうがよいのは当たり前である。現状の中で資本家と労働者のあり方を模索していくしかない。つまり革命の精神があるかないかで、もしワーキングプアに反体制の精神があればプロレはワーキングプアの文学である。
労働者の状況は似てはいるが、プロレ=ワーキングプアの応援歌とはならないのである。ワーキングプアはワーキングプア独自の文学を開拓する必要がある。勿論、時代によって芸術の見方は変わってくるから、ワーキングプアと大正末年から昭和10年代にかけての労働者の状況をプロレの中に類似点を発見することには吝かではない。「蟹工船」(小林多喜二)になると、露西亜人と支那人が社会主義は労働者のパラダイスのようことを語る場面があり政治宣伝がはっきりとしてくる。この集に収められた小説はまだそこまでは行っていない。悲惨な労働者の実態を誇張も含めて描いている。「セメント樽」では政治宣伝より、たとえば「そして、石と恋人の体とは砕け合って、赤い細い石になって、ベルトの上へ落ちました」のようなおどろおどろしさが先行して怪奇小説になっている。主人公の松戸与三はこの事実を知ってもまったく感慨をもらさない。彼もまたセンチメンタルな感情を失ってしまった下層労働者である。人間から自然な感情をも奪い取っていく資本至上主義の犠牲者である。
プロレの現代的意義を考えてみれば、労働力すら株や債券同様に売買の対象になったことだ。国家が派遣会社を公認すれば、商売としてやるものも出て来よう。労働者は本来受け取るべき賃金の中間マージンを派遣会社から搾取されているのである。売血、人身売買同様のことが普通に行われているのは異常な社会だ。警備員や看護士など自社で育成するのが困難な職種に限って派遣を認めるべきである。派遣会社を全廃しない以上下層労働者は増加する。搾取階級が資本家に派遣会社が加わったということだ。国は派遣会社全廃に向けて動くべきである。

「淫売婦」・大正14年11月「文芸戦線」
ある女が工場の乾いた空気と高い温度、それに綿屑を吸い込んだために、肺病になって働けなくなった。しかし働かなければ生きていけない。そこで彼女が選んだ仕事は貞操を売ることであった。死人同然な女は腐った畳の上で客を待っている。これは労災の問題である。この時代に保険があったかは分からないが、経営者の認識として病気怪我は労働者の自己責任と考えるほうが多かったのではないだろうか。
『私は淫売婦の代りに殉教者を見た。
彼女は、被搾取階級の一切の運命を象徴しているように見えた』
「労働者の居ない船」(大正15年五月「解放」でもこの問題は採り上げられている。ボロ船・第三金時丸の乗組員にコレラが蔓延した。船長は患者を次々とフォアビーク(おもての空気室ー船の浮袋)に放り込む。「蟹工船」に似た独裁者の船長、しかも狂気の人格を持った男が病人をごみ扱いにする話だ。労働者は使い捨ての認識がある。

「死屍を食う男」・昭和2年4月「新青年」
初出でが「新青年」でわかる通り、これは完全な怪奇小説。山間にある中学の寄宿舎の話である。安岡と同じ部屋に寄宿する深谷が屍を喰うという設定である。楳図かずおの漫画にありそうな小説だ。

収録作品:セメント樽の中の手紙・淫売婦・労働者の居ない船・牢獄の半日・浚渫船・死屍を食う男・濁流・氷雨

テーマ

関連テーマ 一覧

月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
なるほど(納得、参考になった、ヘー)

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
昨年の8月から9月にかけて、信濃毎日新聞は「地に在りて 葉山嘉樹の十五年戦争を、ほぼ1ページ近いスペースを割いて31回連載しました。担当は西島拓也記者。連載終了後、番外編として現在、岩波書店社友の今井康之氏が書いています。「---葉山嘉樹という一人の作家が、戦時体制の中で、窒息状態にされながら戦争に組み込まれていく過程をたどっていく。その上で戦後六十三年を経た今日、この葉山の姿はわれわれに何を投げかけているのだろうかと問いかける。---」改めて葉山嘉樹とその時代について考えて見ようと思っています。
至誠堂
2009/01/29 21:36
満州開拓農民になるあたりからですか、微妙に方向が変わってくるようですが、これは本気だったのかカモフラージュなのか、わかりませんが。

プロレですね、小林にしてもプロの作家にしては、小説が荒削りですが、これは政治宣伝が目的なので、それが伝わればよかったのではないかと。今、プロレが読まれているのは、思想抜きの心情的共感からだと思います。文学は環境にデリケートに反応するものだと感心します。
マルジナリア
2009/01/30 19:49
小林多喜二といえば『蟹工船』と、もう過去の済んだことと思って未読でした。
ようやく、年末から年始にかけて『蟹工船』と『党生活者』を読みました。
感想は、現在の状況との共通性を強く感じました。ソ連邦崩壊の以前と以後何が本当に変わったのか、考えています。
至誠堂
2009/01/31 21:51
どうやら資本主義もピークに達したようで、あとは…どうなるんでしょうかね。失業しないように賃金を分け合うか、格差を受け入れていくか、それとも特効薬があるのか、このまま行けば格差社会になるでしょう。
まずは派遣労働ですね、やっぱり廃止するべきだと思います。たとえば、車ですね、そこで働いている人が車を買えない状況で、経営者は車が売れなくて嘆いている、なにか矛盾してます。「蟹工船」で働いている人が「蟹缶」を食べられないのと同じです。
と言って??…日本の大学は経済系が多いのだから、具体案がないのでしょうかね、困ったものです。
マルジナリア
2009/02/01 15:43

コメントする help

ニックネーム
本 文
葉山嘉樹著・セメント樽の中の手紙 マルジナリア/BIGLOBEウェブリブログ
[ ]