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zoom RSS 三島由紀夫著・ドナルド・キーン氏宛の97通

<<   作成日時 : 2009/07/10 23:49   >>

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「三島由紀夫 未発表書簡 ドナルド・キーン氏宛の97通」(中央公論社)

≪ あるアメリカ人で、私あての手紙の結びの名を、「魅死魔幽鬼夫様」と書いてくる人があります。これは、必ず彼が気分のよいときで、陽気で、ふざけたいようなときには、こう書いてくるのです。彼が、「三島由紀夫様」と書いてくるときは、大てい気分のわるい、イライラしている場合で、手紙全体にそういう調子があらわれています。そこで私は「魅死魔幽鬼夫」に辿りつくと、ヤレヤレという気分になるのでした ≫

…… これは三島のエッセイ「おわりの美学」にある「手紙のおわり」の一節である。昭和41年「女性自身」連載、のちエッセイ集「行動学入門」(文藝春秋社)に収められ、現在同社の文庫にある。この当時の読者はこの部分を三島の作り話と思ったかもしれないし、「彼」が誰あるかを詮索しようなどと思った人はいないだろうと思う。この「彼」なる人物はドナルド・キーン氏ではないだろうか。キーン氏宛ての三島書簡の署名で「魅死魔幽鬼尾」「幽鬼夫」「幽鬼亭」「三島雪翁」「未揣摩幽鬼夫」…が存在している。最初のころ(初書簡・昭和31年/正月 ? )は「三島由紀夫」で、昭和36年2月23日書簡で「三島幽鬼夫」が登場する。あとはいろいろだ。ただキーン氏の三島宛書簡がわからないのでキーン氏と決めつけることはできない。他にも変わったネームで手紙を出している人がいるかもしれない。
ちなみにキーン氏のことを怒鳴門鬼韻と書いている。これまでに出版されている川端康成、学習院時代の恩師・清水文雄氏宛の書簡には見られない現象だ。
「彼」がキーン氏だとして、気分のよい時と悪いときとがあるというのも、この書簡集で察しがつく。三島とキーン氏は作家とその翻訳者という関係で、海外で出版された本の印税の行き違いだとか、出版契約、翻訳への注文だとかビジネスの用件が手紙文から読み取れる。ビジネス上のことでは日本とアメリカは今より連絡も取りにくいこともあり、摩擦があっても不思議ではないと思う。しかし、こんな署名でビジネス上の手紙が出せるというのも二人の関係が良好であった証左である。また三島にしても日本人作家に出すよりは武装する必要も少なく書きやすかったのではなかろうか。これだけの書簡をキーン氏が保管されていたことに驚く。
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いくつか気になった部分だけ取り上げれば、「宴のあと」がアメリカで出版できるのか、心配していた様子が窺える。これは元外相・有田八郎氏のモデル小説でいわゆるプライバシー裁判で有名になった小説である。三島の考えでは、ほぼ三島側の勝ちとみていたようであるが、さて、日本で裁判進行中の小説が出せるものか、そして出版計画があるという話を有田氏が聞きつけたならば妨害工作に出るのではないかと杞憂している。しかし、これはうまく行って、昭和38年2月にはお礼の手紙を出している。これはキーン氏が極秘裏に仕事をしたおかげだろう。
映画の話もあって、小林正樹の「切腹」と黒澤明の「天国と地獄」が出てくるが、ともに面白いことには違いがないが、「切腹」は芸術的に優れていると言い(昭和37年9月)、「天国と地獄」は芸術的にはどうかと言うほどのものでもない(昭和38年3月)と評している。黒澤については昭和43年1月、三島由紀夫・大島渚・小川徹(司会)の対談で≪ テクニシャンですよ。すばらしいテクニシャンですよ。思想はない。思想はまあ中学生くらいですね。昔の中学生といまの中学生とくらべるとえらいよ、ずいぶん ≫※ と、ここでも酷評している。映画に芸術とか思想が入ると面倒で、中学生程度で十分と考えるが、三島は映像に娯楽性以上のものを期待していたようだ。「切腹」が気にいったのは切腹シーンがあったからであることも報告している。この人はハラキリの美学に取りつかれてしまっていたようだ。
日本の批評家の解説について、これは昭和39年4月5日の手紙で、「日本の文学」の太宰集のキーン氏の解説について、≪ 僕がもっとも理想的な「解説」と考へるものです。日本の評論家の解説は、多く細部を無視し、理窟のために作品をねじ曲げ、作家はそのため、いつも苦い思いを心の底に持たねばなりません…… ≫ これは読者にとっても有害な解説があるのは文庫をみれば説明するまでもないことで、変わった切り口を見つけ出すことが批評家の審美眼であると心得違いしている人は多く、それがまた小説の主題からズレているときてはないほうがよほどよい。新潮社版三島文庫では「近代能楽集」をキーン氏が解説を担当している。昭和43年1月18日の手紙で、≪ 日本では、この本について、これだけのことを書ける人は一人もゐません ≫ と賞賛しているが、「近代能楽集」を英訳するという離れ業をやったキーン氏は、日本人以上に日本の古典を理解できるからのことで、小説を理解しない批評家が単なる仕事として解説を書いているのは困ったことである。   ※ 「三島由紀夫映画論集成」(ワイズ出版)

≪ 前略 小生たうとう名前どほり魅死魔幽鬼夫になりました…… ≫ キーン氏宛の最後の手紙の冒頭である。消印が11月26日であるから、事件の翌日、霊界から投函されたような形になっているのはいかにも三島らしい。事件当日、保阪正康氏の「三島由紀夫と楯の会事件」(角川文庫)巻末の年賦によれば、10時13分頃、三島邸を出発しているから、当日だとすると慌ただしいし、当時でも消印は25日になってしまうのではないだろうか ? あるいは消印をあらかじめ指定( そういうことができるのであろうか ? )した ? …… ふと、疑問に思ったのであるが。
ここでは、武士として死にたいと云い、「豊饒の海」第三巻、四巻の翻訳を何としても出版してもらいたいとのことを書いている。世界の三島というのは大げさかもしれないが、キーン氏が三島を世界に紹介したのであるし、ノーベル賞候補もキーン氏がいなければ無かっただろうから、やっぱり恩義は感じていただろう。


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