永山則夫著・無知の涙

「無知の涙」・永山則夫著(初版昭和46年合同出版社/角川文庫/河出文庫)

この膨大な日記を読んでみた。大学ノート九冊にぎっしりと書き込まれているという。この本を手に取るものは著者永山則夫という人間そのものに対する尽きない興味と不可分な関係なくしては読むことは出来ないだろう。私も例外ではない。永山則夫とは、いったい何者だったのだろうか。彼の獄中ノートから甦る肉声を聞いてから判断しても遅くはあるまい。
戦後、日本の資本主義は高度に発達し我々はその恩恵を受けた。またアメリカ輸入の民主主義は差別という言葉を日本から抹殺するはずだった。永山少年には資本主義も民主主義も無縁であった。社会から疎外され続けてきた少年・永山則夫。
彼の名が日本中に知れ渡るのは、不幸にもあの連続射殺事件である。
画像
連続射殺事件(広域重要指定108号事件)
― 永山則夫 ―
昭和43年10月初旬・米軍横須賀基地から拳銃と実弾を盗む。
①同月11日・東京港区のホテルで警備員を射殺
②同月14日・京都八坂神社境内で警備員を射殺
③同月26日・函館市でタクシー運転手を射殺、7000円を強奪
④11月 5日・名古屋市でタクシー運転手を射殺、7000円を強奪
昭和44年、東京で逮捕(19才10カ月)
平成9年8月1日、東京拘置所内で死刑執行(48才)


「無知の涙」は昭和44年7月2日から45年10月19日に到る獄中ノートである。副題に「金の卵たる中卒者諸君に捧ぐ」が付く。序に詩「無知の涙」、前書きでノートに書く内容はなるべく事件に触れないことを宣言、終章 ― 学問の卒業時点とは、敵となるか否かにかかわらず、マルクス経済学を理解することにある。 ― で締め括る。続編は「人民をわすれたカナリアたち」(河出文庫)である。前半は詩、拘置所内で思ったこと、死刑に対する開き直りなどが前後の脈絡なく雑然と書かれている。しかし後半になるとマルクス経済学を援用して自己の現日本に於ける政治的立場の表明等、論文的色彩を帯びてくる。いずれにしても特徴的なのはタイトルが文末にくることである。(この点について本人も自覚している。)おそらく、即興的に書き始めて、方向が決まってくる為であると推測する。感情的になったり、話題の急転換、文意のはっきりしないところがあるので、全体をみて判断する必要がある。尚、永山の少年期から事件前については半自伝小説「木橋」、「捨て子ごっこ」、「異水」等に詳しい。これら著作については読んだおりに改めて書きたい。永山の19才までの人生は決して幸福とはいえない。これを踏まえた上で「無知の涙」は読まれるべきである。

逮捕当時、読み書きも困難だったと言われている。本当だとすれば一年足らずで「無知の涙」のレベルまできたのは驚異的な学習能力である。だが、永山の急成長は危険な面もあると思うのだ。永山は、自己をプロレタリア階級と位置づけて、資本主義の犠牲者の意識がある。そのよりどころはマルクスの「資本論」である。私は、本書に於ける永山の理解度はどのくらいかは判断できない。ただ永山にとって「資本論」は聖書のごとき存在で、日々その信仰は強固になっていったように思われる。終章の言葉はこれを象徴していると思う。私が「危険な面」と先ほど書いたのは、「資本論」が彼独自の理解のされようをしているのではないかという疑問である。例えば、永山が「社会」というとき、永山独自の意味内容が追加されている可能性があると思う。独学の陥りやすい罠である。「資本論」についても永山に都合のよい解釈をされているのではないだろうか。

永山は東京地裁の法廷で ― 事件を起こしたのは無知で、貧乏だったからだ ― と発言している。永山発言のうち最も有名なものだと思うのだが、短絡的に貧乏で学校も満足に行けなかった、だから教養といえるものは無かった。殺人ということについても考えなど無かった。行きずりで殺ってしまった。と解釈するのは誤謬があると思うのである。私は以下のように考えるのである。ここでいう無知は永山の現日本に於ける存在がいかなる理由によって生まれたか―それがわからなかった。拘置所内で「資本論」と出会い、どうやら自分はプロレタリア階級であると理解する。自分は資本主義の犠牲者である。自分のような人間を生んだ資本主義こそ憎むべき敵であり、打倒しなくてはならないと。富の分配、権力の分配が悲酸なプロレタリア階級を救済するのだ。「無知の涙」には革命家の意識が横溢しているのは事実だと思う。「金の卵たる中卒者諸君…」は、目覚めなきゃ駄目だ!ブルジョア階級に殺られるぞ!― 警鐘の意味であると思う。

永山が射殺した4人は貧乏でなかったとしてもブルジョア階級というには無理がある。彼の供述から想像するに不審者と思われ補導されるのを懼れた突発的行動のように思う。被害者と因果関係のなさから言っても動機なき殺人(永山も日記に書いている)である。プロレタリアがプロレタリアを…永山が後悔しているのはこのことだと思う。理想的なのは偶然にも4人が資本家や政治家ならばよかった。それだったら後付けながら革命家として彼の敵、ブルジョワ階級に鉄槌を下すという大義が成立する。永山も大義を模索しているように感じられるのだが、残念ながらこの公式は成立しない。殺る相手を間違えてしまった、その理由は自分がプロレタリア階級であることを知らなかったからだ…東京地裁の言葉はこういう意味合いがあると思う。

永山に罪の意識があるか否か。殺害という事実について、死刑になっても仕方ないというのは認めている。罪の意識はあるのだが自己に全責任があるのではなく、社会の構造が自分のような殺人者を生み出したのであるという思考が彼には強固にある。そして甘んじて死刑になるのも理解を示している。いかなる理由でも殺人は大罪である。従って死刑はしかたない。だが彼の敵、資本主義国家の手によって処刑されるのは不服である。ここに甘んじての意味があるのではないか。以上私なりに永山という人間を考えてみた。「無知の涙」は初期のころに書かれたものである。考えも変遷しているかもしれない。小説も含めて注意深く観察するべきであろう。
永山はすでに鬼籍の人である。これ以上社会的責任を追及することはできない。だが彼の置いていった問題は手付かずである。いや、面倒だから棚上げしているだけである。例えば、死刑制度、少年犯罪の問題は永山処刑時から進展していない。
ただ私は永山には詩人としての才能は確かにあると思った。

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この記事へのコメント

なると
2009年10月11日 23:04
資本主義は、所得税に始まり所得税に終わるのでは?
経費課税でがんばれますか?

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