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zoom RSS グラシンのストッキング効果・1

<<   作成日時 : 2008/09/20 22:09   >>

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私が初めて買ったのは中学一年、あるいは二年生のときだ。国語の教科書に「吾輩は猫である」の一部分が載っていた。吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで…は覚えているから第一章と二章の中途ぐらいだと思う。ついでだから、もう少し後ろまで読んでやろうと思った。なぜ、そういう気持が起こったかはわからない。それまでにも芥川や未明の短篇は読んでいたと記憶しているが、本格的な長編は猫が初めてである。そこで本屋に行った。
文庫というものは知っていたが、さて探してみると岩波、角川、新潮、旺文社から出ている。その他にもあったかもしれない。注が詳しいので旺文社のにしようと思ったが、とにかく分厚い。他も分厚い。1頁に文字が詰まっている。最後まで読むのは手強いと思った。そこでこう考えた、中途でもよいから一冊読み終えてみようと。そうなれば岩波しかない。今では一冊になっているが、当時岩波の猫は上下ニ分冊であった。これが岩波文庫との付き合いの始まりだ。表紙は他社のほうが良いから逡巡もしたが、やはり分厚さに恐れおののいて岩波に落ち着いた。★印三つで二百十円である。その後、☆ができて一個五十円だと記憶している。しかし★印はすぐに無くなって定価幾らになった。早速読んでみた。猫が出て来るのは第二章までで、あとは延々苦沙弥先生の書斎で迷亭やら寒月、独仙という妙な名前の連中が駄弁している。退屈で嫌々ながらも二巻読み終えたのは快挙だ。画像

さて、読み終わってみると達成感と云おうか、征服欲と云おうか、もう少し読んでやろうと言う気になった。ちょうど何かの雑誌で文庫の整理法なる記事をみて、テッシュの空き箱がよいという。なるほど、文庫をあてがってみれば、多少の隙はあるが、うまく収まる。テッシュの箱一つ分だけは読んでやろうという気になった。赤帯や青、白、黄色は流石に敷居が高い。必然的に緑帯になった。漢字の多くないもの、行間が空いているものを選んだ。読書が目的ではなく、蒐集が目的であったからである。芥川や志賀直哉、武者小路などを読んだと思う。
一箱一杯になると、もう一箱、またもう一箱と集まった。途中、受験とか就職があったので小説と遠くなったが、再び文庫で読むようになったときは、岩波のほとんどがカバー付きに衣替えしていた。そういうわけで、持っている文庫は岩波が一番多い。古本屋でカバーなし時代の新潮や角川のをみかけるが、昔はどこの文庫も同じように見えたことだろう。最近の華美な表紙のものより、カバーなしのシンプルなほうがよいと思う。あのグラシンの乾いた感触、音はよいものである。

今の文庫にカバーが付いているのは当たりまえである。が、賑やか過ぎる。表題の文字が大きすぎて不恰好である。どうにも致し方のない代物ばかりである。これは新刊点数も多く、又本も売れない時代故、書店で少しでも目立たそうという出版社の作戦であろう。それはよいとしても太宰や芥川の本に漫画の表装というのは、あまりにセンスがない。カレーライスを箸で食するようなものだ。これが売れているというのは、さらなる驚きである。
装丁家の内容の無理解から来る珍奇なる表装もしばしばみるところだ。あるいは、装丁家が自らの芸術発表の場となっているのもある。これらは物故作家のものが多い。本末転倒で従なる表装が主になり、主なる作品が従なる現象だ。ならば、いっそうの事カバーなど無いほうがよい。
かってはよい表装のものもあった。例えば角川文庫の夢野久作は今では「少女地獄」「ドグラ・マグラ」のニ冊きりだが米倉斉加年氏の図案は小説の不気味さを表象している。同じく旧角川文庫の芥川集全十巻は森慶文氏の抽象画は精神の鬱屈した状態を表している。同文庫の旧寺山修司の林 静一氏の装画もよい。新潮文庫の大江健三郎の山下菊ニ氏の装画は秀逸で、皮を剥いだ人間の素顔といったらよいだろう作品の卑猥さを表している。が、現実は嫌なものが圧倒的に多い。どうせなら三島由紀夫のように表題と作者名だけのほうがすっきりして好ましい。講談社文芸文庫の表紙は文字が踊っていてなんとも不恰好である。
新刊にはカバーに帯が付く。これは棄てる場合と其のままつけて置く場合がある。気のきいた文句がある場合、帯が表装の一部になっている場合はとっておく事にしている。狭い紙片に本文の情報をふんだんに盛り込んだものはよい。角川文庫・「無知の涙」(永山則夫著)の昭和62年十五版についている帯は見事なものであるから参考までに以下に記しておくことにする。

[表表紙側]
連続射殺事件
永山則夫の、獄中ノート!
昭和43年秋、19歳の一少年によって起された連続射殺事件、―これは、その犯人永山則夫の、衝撃にみちた、最初の獄中ノートである。極貧の生いたちと世の不条理を行きた者の告発の叫びと、虐げられ忘れられた人々への熱い連帯のメッセージが、全ページに脈博っている。  
[背表紙側]
連続射殺事件永山則夫の
衝撃の獄中ノート   
[裏表紙側]
自分の主宰する雑誌<辺境>に掲載するために手にした「無知の涙」のノートを読んだ時の激しい感動を、私は忘れることができない。都市と辺境とを問わず、うみただれた日本の現実。そこに生き、繁栄する社会と平和な家庭を築くことに寸毫の疑いさえさしはさまぬ人々に向って、永山則夫は問うたのだ。
犯罪とは。生命とは。そして愛とはどういう行為を意味するのか。…
                                      井上光晴(解説より)

これ位、本文の情報を盛り込んだ文庫帯文は珍しい。かっての角川文庫はカバーを取ると、岩波にも劣らないクリーム地の美しい表紙が表われた。文様も凝ったもので、全体に格子の透かしが入っている。これはカバーなし時代のなごりである。今の赤い紙は品がない。春樹社長の代になって、品目もすつかり様変わりしてしまったのは残念である。私は文庫にカバーが要るか否かと問われたら、要らないと答える。小説などは一度読んでしまえば、そう度々開くという性質のものではない。大抵は本棚に挿して終りである。又多くの人は書店で茶紙をかけてもらう。表装を観賞することは少ない。もっと大きな理由は本を自宅の書棚に挿しておくと案外と目障りなものであるからだ。書店などの広い空間では、そういうことを感じないものである。出来るだけシンプルな方がよいと考える。旅行などで珍しい置物を見つけて、さて部屋に飾ってみると鬱陶しいことがある。それと同じ理由だ。背表紙は揃っていたほうが叢書として美しいという理由もある。しかし付いている物をあえて外す行為は詰らないから其のままにしている。
私はグラシン紙とストッキングの相関関係について書くつもりであった。しかし大分ずれてきた。これはいつものことである。次回に回す事とする。

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