川端康成著・美しさと哀しみと

「美しさと哀しみと」・川端康成著(中公文庫)

久しぶりに川端康成です。このところ三島由紀夫が続きましたので、胃もたれ気味で体調が悪い。たぶん、こってりした油に祟られたのだと思います。そこでここは油抜きの精進料理で胃の調子を整えることにしました。どうもスタミナが欲しいときにはあまり食指が働かない作家なのです。薬草も入っているようですし、解毒作用もありそうですが、あまりに食すると毒薬にもなる恐い一面を持っている、川端康成はそんな作家です。
私は川端の小説では昭和30年代のものが一番よいように思います。日本の「美しさ」というより「哀しみ」が描き出されていると感じるからです。川端の代表作は「雪国」「伊豆の踊子」ですが、私はあまり好きではありません。というのは小説のスタンダードになりすぎて生彩がないように感じてしまうからなのです。これは単に私の偏見でしかありませんが、おそらく百年後、文庫という出版形態が残っているとして川端のものでは「雪国」「伊豆の踊子」だけは残っているでしょう。ノーベル賞は作家と作品にとって慶びですが、またノーベル賞の檻に閉じ込められてしまって不幸であるとも思うのです。かって三島由紀夫は「『眠れる美女』論」で≪ 偉大な作家には、おもてむきの傑作と、裏側の傑作とがあるらしい。顕教的顕仏的傑作と、密教的秘仏的傑作といいかえてもよい。川端氏にとっては、「雪国」はそのおもてむきの傑作であれば、「眠れる美女」は、正にその秘仏的傑作なのである ≫と言っています。
私が「雪国」を好かないのは、その「おもてむきの」、つまり優等生的なところからくるのかもしれません。これはまた読んだおりに考えてみます。今回の「美しさと哀しみ」は川端文学の「裏側」にあたります。しかも「眠れる美女」ほど有名ではなく、月見草的存在ではないでしょうか。美しいが毒を含んでいます。ときに強烈な熱風が襲ってきます。

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女同士が指を絡ませる行為は気持ちのよいものではありませんが、川端の手にかかると抒情的な風景の中に溶かしこまれてしまうのです。絡み合う指先からこぼれる涙には喜びの味もあれば哀しみの味もある、また情熱と憎悪の味もある。巷の喧騒にいつしか忘れてしまった昭和30年代の風景に女の涙が注がれる小説が「美しさと哀しみと」です。二十四年前、十六歳の少女・音子は三十一歳の男・大木の恋人でありました。音子は大木の子供を身籠ったが早産で亡くなってしまった。女の子でした。それがきっかっけで音子と母は京都に転居しました。大木は音子と関係を持ったときは、すでに妻子持ちでした。大木は小説家で音子との関係を「十六七の少女」に書きます。これが今まで大木の最もうれている小説で一家の生計を支えているのです。大木は音子との関係を清算しましたが、今でもやっぱりどこかで音子を愛しています。音子は京都で絵の専門学校に入って日本画家になります。今では女弟子一人を置くまでになりました。音子は大木のことは忘れらるよう努力しました。忘れようと努力するのは、逆に忘れないように努力するようなもので大木を愛していることになります。
そうは思っても二十幾年前のことです、お互いに生活もあるので、思い出として心の奥底に沈めていましたが、大木は百貨店の画廊で音子の絵を見た刹那、断然音子に会いたくなった。
大木は音子との恋を復活させる気持ちではなく、ただむかし自分が愛した女が今は今はどうなっているだろうという気が起きたのです。

……東海道線、特別急行列車「はと」の展望車で大木は回転椅子」をながめている、暮れの二十九日のことです。大木は除夜の鐘を聞きに行くために京都に旅たちましたが、これは口実で音子に会うためであった。これが小説の発端です。パンドラの箱をあけるとロクなことはないのです。亡くなった子の祟りか、天罰か、悲酸な結果が待ち構えていました。抒情的でありながらゆらめく炎のような恐さを持った小説です。
罠。
大木と音子の京都での邂逅は静かなものでした。それで話は終わるはずであった。が、二人の邂逅に別角度から刺すような視線が注がれていたのです。音子の女弟子、坂見けい子と言いますが、が同席していました。音子が初めてけい子を見たとき、≪ 美少年のような少女 ≫の感想を持ったほど美形の女です。実は音子とけい子は同性愛的傾向があるのです。けい子は音子が大木を愛していることを見抜いてしまいます。過去、ひどい仕打ちにあった音子がいまだに大木を愛しているという事実にけい子は嫉妬します。そこで、彼女は大木に仕返しを企むのです。
≪ 先生、あたしは先生の復讐をしてやりたいんです ≫
この言葉は音子との会話に度々繰り返されます。音子は大木に復讐なぞ望んではいません。けい子は心の奥底に妖しいものを持った女として描かれています。けい子の両親は亡くなり、兄夫婦と住んでいましたが、夫婦に赤ん坊が生まれたころより邪魔者扱いされました。けい子の「復讐」は同性愛の嫉妬と、境遇から来る同情心が含まれていると私は解釈します。京都と鎌倉、二つの古都の風景を交え、大木と音子はけい子に翻弄されていきます。そして音子とけい子の涙は哀しみの涙なのです。




昭和36年1月― 同38年10月「婦人公論」連載



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