松本清張著・小説 帝銀事件

「小説 帝銀事件」・松本清張著(角川文庫)

閉店直後の銀行に行って、全行員に毒を飲ませて殺害してから金を奪い取る― この方を思いついたところで、まずどうやって全行員に毒を飲ますかの壁にぶつかる、次に順番に殺害ではばれてしまう、一気に全員殺害しなくてはならない、これをどう解決するかの壁にぶつかる、結局机上の空論に過ぎないと思うのが凡人であるが、帝銀事件の犯人は易々と実行し成功した。犯人は集団赤痢の発生という架空の事件をでっちあげ、東京都衛生課並びに厚生省厚生部医員、医学博士の名刺と背広の左腕に東京都の赤印の腕章で権威づけし公的機関からの訪問者ということにして、予防薬、つまり毒薬を飲んでもらうことにしたと考える。
ここまでシナリオができたとして、演技ができるかが問題だ。挙動不審であってはならない、自分がその関係者になり切らなければならない、これから大量殺人を犯そうというのに落ち着いた演技ができるものだろうか、また不意の質問にしどろもどろになりはしないか、結局この段階で無理だと凡人は悟るが、犯人はなんなくクリアした。毒を飲む実演までやってのけ、致死量は絶妙の量であった。
常識で考えれば不可能で、あり得ないという常識の盲点を突いた犯罪だ。
推理小説じみた犯罪を易々と実行できた犯人は度胸といい、知能といい驚嘆するが、はたして平沢貞通にできるだろうか、平沢が犯人であるかないかの決め手はこれだと思った。なぜなら物的証拠は二枚の名刺と小切手一枚のみで、あとは面通しと自白によるものしかなく、そのどれもが動かぬ証拠の域までは行っていないからである。そもそも平沢犯人説に向かったのは、昭和22年10月14日のこと、安田銀行荏原支店で帝銀事件に酷似した未遂事件があって、犯人が置いていった「松井蔚」名刺からのわりだしである。松井という人物は名刺を渡した人物の名を書きとめておく習慣があり、その一人が平沢であったのだ。詳細は省くがはなはだ頼りない証拠である。
面通しは11人の目撃者にさせたが、せいぜいが似ているでこちらも頼りない。人間の記憶は不確かなものだと思う。帝銀事件生き残りの村田正子は終始「違う」を主張したが、「一度でも会ったことのある人なら、なんかピンと感ずるものがある筈だが、目がどうの、鼻がどうのと、個々の道具を一つ一つおぼえているのではなく、それらが形作る全体の感じから、考えるより先に、ああこの人だ、とピンとくるのだと思います」と述べている。ピンとくる― 女性らしい感覚的な捉え方であるが、まさにその通りでわれわれは部分で人の顔を覚えているのでなく全体の雰囲気で記憶しているのだと思う。
自白については強要はあったと推測されるが、平沢貞通はコルサコフ氏病にとりつかれており、これが不利になった。コルサコフ病とは本書より引用すれば、「この病気の特徴は物事を忘れやすくなり、しかも中断された記憶をもっともらしい嘘で固めることにある。こういう性格は暗示にかかりやすいということを、平沢を鑑定した植松教授も語っている。同時にまた否認の自己暗示にもかかりやすいというのである。やりもしないのにやったように暗示をかけると、そう思い込む反面、やったことを自己暗示によってやらなかったと信じてしまいこともあるのである」とある。ある方向の自白に誘導しやすいということである。このていどでは死刑以前に犯人と断定するのは不可能に等しいが、帝銀事件は旧刑事訴訟法による最後の事件で、自白重点主義であったのだ。運がない。他に筆跡鑑定などもあるが、やはり特定までには到らなかった。
平沢犯人説は以上のようにはなはだ曖昧なものである。では平沢がやっていないという証明もしなければならないが、こちらもまた曖昧だ。画家など自由業は行動が拘束されることが少ないのでアリバイ捜しは困難を極めるから、最終的は「~だっただろう」に落ち着いてしまった。平沢が「松井 蔚」名刺を渡されたこと、事件後、一時的に多額の現金を所持していたことを考えれば絶対に平沢でないとも言い切れない。しかし死刑か無罪の瀬戸際にあっては曖昧な証拠は認められないのが普通だが、現実は死刑判決になった。おそらく曖昧さを残したままでも平沢に違いがないという認識が世論にできて、裁判長も従わざるをえなかったのだろう。これを煽いだマスコミの責任も大きい。これは清張も指摘しているところだ。真相解明の材料は今わかっている以上のものがでてくる可能性は低い。平沢が犯人であるかは最終的に、最高裁判決を度外視して、異様な犯罪を行う能力のある人物か、これまでの経過を総合して主観で判断するしかない。犯人はどのような人物像であるか、清張は4点あげている。

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1) 残忍酷薄な人間
2) 非常な精神と強い意志の持主
3) 頭脳的犯罪者
4) 犯人の性格は計画的で科学的である







1)について、「犯人はこの薬を無心なる幼児(小使滝沢の子)にも飲ませたいという申出に対して、犯人は平然としてよろしいとうなずいているのである。通常の人間ではとても言えないことである。」
2)について、「いずれにせよ前の年の秋以来、計画して、次第にこれを実行に移して、翌年一月の末、成功したというのは強靭な意志力のあらわれである。」
3)について、「まず一回、二回のテストを行ったことといい、あくまでも合理的に計算され割り出されたものである。犯行に選んだ時日もまったく妥当をきわめている。たとえばとくに忙しい休日あけの日の、一日の営業を終わって繁忙から解放され、ホッとして注意力の最も散漫な、いわば空白なる時間であろう、閉店してしばらくした時間を選定している。与えた毒物の量もきわめて精妙に計算されている。
(中略)
つまり毒物の実際的な知識だけでなく、実践から来た自信と見てよかろう。自分で体験したか、反復実践した結果の十分なる情報を持つものでなければなるまい。」
4)について、「ただ、時のはずみとか、酒の上での酒乱だとかいうような衝動的な殺人ではなく、なんら自分とは利害関係のない人間を、平然として十六人、一瞬のあいだに抹殺しようとしたその心は、科学的であると同時に人間性を失った男と見るべきだ。」

以上4点を総合すると、毒物の知識及びその使用方法に関して特殊な教育を受けた経歴があり、粘着質の性格でまた頭脳明晰である。また目的遂行のためなら殺害も平気でやってのける残忍性がある。平沢を知る人の記憶から判断すれば到底、犯人の人物像に当てはまらない。
経歴から割り出せば医師、歯科医、獣医、薬剤師、その他医薬品の知識がある者が浮かび上がる。事件から五カ月後に各警察に出された捜査指示には、「犯人ハ医療防疫、薬品取扱、又ハ研究試験ナドニ関係アルモノデ特ニ引揚者ヤ、軍関係ノ医療防疫関係者、及ビ、特務機関員、憲兵ナドヲ最適各格者トミナシ、彼ラに対シ慎重ナ注意ガ向ケラレテイル」とある。軍関係を強調しているのは毒薬の使用法を知悉し、また犯行時の冷静さは経験と自信に裏付けられたもので、このような特殊な知識と経験を併せ持っているのは軍関係者以外にはないと警察は見たからである。この線から行けば731部隊、中野学校関係者に捜査が向かうのは自然の流れであった。
当初、捜査は軍関係が主流で名刺関係は傍流であった。それが傍流のほうから犯人逮捕されたのは、軍関係の捜査が壁にぶつかったからだと清張は推理する。GHQがこれら毒物関係の軍の特殊な任務についた者を、組織を「米軍の保護下」に置き、自らの軍の研究及び利用に使おうと企んだためであるとする。GHQは捜査の手が伸びれば自ずと組織の研究、能力は外部の知るところとなるが秘密保持のために隠ぺいしておきたいと考えた。そのためにGHQは横槍を入れて、捜査を行き詰まらせたとする。警察といえど、GHQにはお手上げであるのでどうにもならない、がなんとしても犯人を逮捕しなければ警察の威信にかかわるという焦りの気持も手伝って平沢逮捕に踏み切った。そこで平沢のアリバイの曖昧さが警察に有効に使われてしまった。なんとも無茶な話しであるが、組織はその本来の目的を離れて、組織維持のために働く性質を持っているから、誰かを逮捕せずにはいられなかったと察する。

「小説 帝銀事件」ではGHQ関連と事件の関わり合いについて踏み込んだ言及をしていないが、一年後の同著者による論稿「帝銀事件の謎」に詳しい。平沢の人生後半は国家権力に押しつぶされてしまった。私は平沢が犯人でないと信じている。清張はこの事件から教訓を引き出している、以下「帝銀事件の謎」より引用しておく。

「帝銀事件は、われわれに二つの重要な示唆を与えた。一つは、われわれの個人生活が、いつ、どんな機会に『犯人』に仕立て上げられるか知れないという条件の中に棲息している不安であり、一つは、この事件に使われた未だ正体不明の毒物が、今度の新安保による危惧の中にも生じているということである。」
二つ目は当時の世相を反映した見解であるが、一つ目は、近い所では「松本サリン事件」のK氏の場合が当てはまるだろう。一時、K氏は平沢と同じ境遇を経験しているのだ。

尚、「小説 帝銀事件」はR新聞論説委員仁科俊太郎による回想によって事件の発生から、平沢逮捕、捜査への疑問を書いたものであり、ルポルタージュ的作品である。初版は昭和34年11月文藝春秋新社より出ている。「帝銀事件」のまとまったものでは早い時期のものである。


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