橋本 治著・「三島由紀夫」とはなにものだったのか

「三島由紀夫」とはなにものだったのか・橋本 治著(新潮臨時増刊「三島由紀夫没後三十年」/平成12年11月)より

(三島由紀夫と松本清張)

「三島はね、才能の枯渇」
「才能の枯渇」
普通にしていても暗い表情が暗い人である。下唇をグンと突き出して「才能の枯渇」としか松本清張は言わなかった。たしか、三島由紀夫没後二十年のときだったと記憶している。古いことなので、記憶違いということもあるが、この部分だけは確かである。怪しい記憶をたどると、NHKの特番ではなかったかと思う。三島由紀夫の死をめぐって、各界の識者がそれぞれの意見を述べるという趣旨であった。だいたい三島由紀夫の死は凡人には理解しがたい謎で、わかったような、わからないような振りで煙に巻いてしまうのが得策というもので、実際、みながそうした見解であった。ただ一人、妙にはっきり意見を述べたのが松本清張であった。だからわたしは記憶しているのである。他にどういう人が出たかは覚えていない。当時、松本清張は怪事件があれば、必ずと言ってよいほどテレビでコメントを求められた。しかし、「三島はね、才能の枯渇」なんて、素人っぽいコメントをしたことはなかった。それも吐き捨てるような口調であった。
松本清張没後の別の番組(これも記憶違いがあるかもしれないが、おそらくNHKではないかと思う)で、中央公論社で「日本の文学」という全集を出そうという計画があった。編集委員に三島由紀夫が参加していた。松本清張をどうしようかという段になって、彼は強烈に反対したという。あれは推理小説だからというようなことで文学として認めない趣旨であったように思う。谷崎潤一郎と川端康成はどちらでもよいという考えを示した。
結局三島の意見が採用され松本清張は「日本の文学」に入らないことになった。清張は作家としては三島よりあとであるが、二十歳近く年上である。おしゃべりな人がいるもので、事の成り行きを清張に報告したのであろう。清張としては三島に世話になったことはなく、こんな小僧っ子に自分の文学を莫迦にされては、不快になるのは当然で、憎悪さえ生まれる。「三島はね、才能の枯渇」と切り捨てたのは、その表れであると思う。
もともと、三島由紀夫は推理小説に冷淡で、何かのエッセィで推理小説は小説のうちにはいらないと述べていた。しかしたかが文学全集の編集委員である、谷崎や川端のようにどちらでもよいというのが普通である。そこまで松本清張に固執したのは何かありそうだ。
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いや、ちょっと待てよ、三島由紀夫も松本清張もそれぞれの小説で地位を獲得していたはずだ、それに方向がぜんぜん違うからライヴァルに当たらない。よく考えると、三島由紀夫が松本清張を毛嫌いする理由はないはずだ。そこで橋本 治氏の登場である。「我々は、三島由紀夫の側にではなく、松本清張の側に立って考えているのである」と橋本氏は言う。なるほど ! 続けて「三島由紀夫の側に立ったら、松本清張の作品はどのように見えるのか ? おそらく、「大人の小説」のように見えるだろう。そして、自分の小説は、「子供のようなこじつけ小説」に見えてしまうことだろう」 三島の「金閣寺」は現実の事件をもとに書いた小説であるが、犯人の内面の心理は三島の創作であるのを、われわれは知っている。三島は放火事件を掌の上でこね回して、現実の事件とは別の物語を作った。もし松本清張なら、事件の真相に迫るだろう。美がどうのこうのなんていうのは、三島だけの問題である。人が知りたいのは事件の真相だ。橋本氏は三島が清張を拒絶する理由に「子供のようなこじつけ小説」の弱点を挙げている。
三島は読者の興味関心が人生の糧とか教養ではなく、今を知ることに変わってきたことを清張から嗅ぎ取ったのだろう。この点は三島文学は弱い。三島には「金閣寺」他、「青の時代」「絹と明察」「宴のあと」と現実の事件を背景にした作品があるが、いづれも背景だけで中身は橋本氏の言う「自分の世界」である。もし、清張が先に「金閣寺」を書いたら三島の「金閣寺」は色あせたセーターみたいなものだ。
三島没後、だいぶ経ってから水上勉が「金閣炎上」を書いた。わたしは未読であるが、ネットの感想から想像するに現実の事件に迫った作品のようである。小説は先行逃げ切り勝ちの場合が多い。金閣寺と言えば水上勉より三島由紀夫である。橋本氏は烔眼の人である。少し敷衍して考えてみると、松本清張は材料を料理するのが早い。なにか三島が使おうと思っていた材料を先に料理されて、面白くない感情があったのかもしれないと思う。しかし他人の事件には推理の働く松本清張も自分のことになると感情的になるのはイロニーである。医者が自分の手術をできないのと同じである。

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早いものである、三島由紀夫没後四十年を過ぎた。法改正がなければ、著作権は十年ない。没後五十年過ぎて、尚その作家と作品が生命を保っていれば本物と言えるだろう。おそらく三島由紀夫の場合はおつりが来るだろう。そして没後五十年には、これまで著作権上の問題で公にできなかった書簡類や未完作が公になることと思う。新たな三島由紀夫伝説の始まりである。あらゆるものが公開されたとして、一九七〇年一一月二十五日の謎はパンドラの箱に永久に封印されたままなのであるから、やっぱり三島には謎が残る。謎を解くには唯一つ、自分が一九七〇年一一月二十五日を再現することであるが、誰もできない行動である。だから永久に謎なのである。新潮臨時増刊「三島由紀夫 没後三十年」が出たのは二〇〇〇年十一月である。この少し前、平野啓一郎氏が三島由紀夫の転生と騒がれたが、平野氏も今や中年に入ろうとしている。増刊号の上部が薄っすらきつね色に染まった。
それらを思うと月日は自分の知らぬ間にずいぶんと経ってしまったものだと思う。その間、自分は何かをしたかといえば何もしていないように思う。三島由紀夫なら一仕事成し遂げたであろう、忸怩たる思いでいっぱいだ。
橋本 治氏の『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』は増刊号に収められている小エッセィである。暇をみつけては、増刊号を開いたが、橋本氏のが一番よいように思う。三島由紀夫論を書く人は多い。しかしよいと思うのはわずかである。三島由紀夫以上に難解な三島論もある。わかったふりをした三島論も巷にあふれている。橋本氏のエッセィは三島の熱い視線に熱い視線を送り返した三島論である。文章は平易であるから初学者にもよいと思う。三島邸の案外と小さいのから始まって最後のほうに「松本清張を意識する三島由紀夫」の章がある。わたしは見ているうちにハタと思いついた。記憶していることと、憶測を橋本氏のエッセィを頼りに書いたのが上記の文である。エッセイの中心は作品論である。「禁色」― 「金閣寺」― 「豊饒の海」に連なる認識者と行動者の関係を解き起こすのが主眼である。これは読者の助けとなる文である。しかしわたしは三島由紀夫と松本清張という、まったく縁のない者どうしが、実は水面下で葛藤していたという推論に俄然興味が湧いたのである。


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この記事へのコメント

中野
2016年10月16日 08:09
三島由紀夫先生は、憂国の志士である。
至誠の志士である。
sw
2019年04月14日 09:04
「もともと、三島由紀夫は推理小説に冷淡で、何かのエッセィで推理小説は小説のうちにはいらないと述べていた。」

ええええええぇぇぇぇ。。。
どこ情報よそれ。。よく調べてから言おうよ。
乱歩原作の黒蜥蜴の脚本書いてるじゃん。明智小五郎主演じゃん。
乱歩以外もポオも「知性の断末魔」って絶賛してるじゃん。
たわ言垂れ流す前に少し調べようよ。。

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