「金魚の初恋」




金魚の初恋





 蒸している日の午後である。空は曇天でいまにも大粒の雨が降って来そうだ。家からすぐのところに公園がある。わたしは、仕事を失い路頭に迷うていた。これから、如何に道筋をつけるべきか、そこの池をぼんやり眺めて考えていた。水面に不機嫌な自分の姿が映っている。わたしは自分の顔に腹を立て、水面に小石を投げ付けた。瞬く間に不機嫌な面は粉々になった。金魚は午睡を妨害されて逃げていく。
 不意に、「莫迦野郎 ! 気おつけろ」という声が聞こえた。即座に見廻したが、人はいない。もっとも平日の午後に、子供にも嫌われた池を見物する暇人はいない。どこも行くところがないから来たのである。
 この池は二十畳ほどの人工池で、ひょうたん型をしており、くびれたところに橋が渡してある。周囲に石を配し、底はコンクリートである。昔は大きいほうの溜りから噴水が上がっていた。水底は泥の絨毯に変わり、噴水は壊れた。藻は繁茂し水は濁り、周囲は雑草で囲まれた。ここに居る金魚は人が捨てたものである。いつかなどは南方産の色鮮やかな淡水魚がいて驚いたものだ。
「 おい、そこの唐変木、俺がわからねえのか」
 耳を疑った。 甲高いかすれ声である。子供が大人の真似をした話し方だ。失業しているから精神が不安定になって、脳内で幻聴が起きたのにきまっている。一刻も猶予するべきでない、早く仕事に就かなければいけないと思うた。が、
「どこを見てるんだ」
 という声がしたので、もはや、これは幻聴などではない、誰かが傍にいる。しかし時折、雑草が風で擦れ合う音がするだけで、人の気配はない。
「 水に映っているお前の顔を見ろ」
 鼻のあたりに一匹の金魚の口が出ていた。金魚は水面に跳ね上がった。が、降りてくるはずの金魚は空中で消えてしまった。わたしは目を見開いて金魚の軌跡を追うた。
「何をしている」
背後でさっきと同じ声がしたので、気味が悪くなった。

 振り返ると、菅笠を被った小僧が立っている。身長は百五十センチ前後である、甚平のような青い着物を上下に纏って、素足である。顔は笠で半分隠れているが、青々とした坊主頭が覗いている。顔は扁平で釣り上った目は細い。小僧に錫杖を持たせればお地蔵さんになる。
「 俺は金魚だ。修行を積むとこのようなこともできるのだ。おい唐変木、何を悩んでいる。俺の苦しみに比べたら、人間の苦しみはたいしたことはない。ようし、俺の苦しみを聞かせてやろう」
 生意気な小僧である。妙な格好が気になる。子供の悪戯にしては手が込んでいる。それに魚独特の生臭さを発散している。小僧は金魚の化身かもしれないと思うた。
 小僧はわたしの前にすっと手を出した。何の意味か、わからないのでそのまま打っ棄ってると、ふいにタバコを一本寄こせと言う。話し賃だそうだ。いけないと思うたが誰もいない、剣呑な小僧だから、わかばに火を付けてくれてやった。小僧は一服すると、
「 ひでえ、タバコだなあ」
 としみじみ言う。わたしは相手をするのが、莫迦らしくなった。小僧は、ひでえと言いながら、ぷかり、ぷかり、旨そうに吸うている。わたしが気分を害しているのを察した小僧は、
「 まあ、待て。タバコを吸ってからにしようや」
 憐みを乞いたいという目つきである。君は態度が悪いから、けしからんと言えば、
「では改めましょう。吸い終わるまで辛抱してください」
 と謙虚になった。二人は露台に腰かけた。以下は小僧が語ったところである。

 あゝ、なにかよいことはないかなあ、毎日水槽の内側から人間をながめるのもあきていました。それに、人間を喜ばすために媚びるのもつまらないことです。どうせ、僕たち金魚は人間の慰み者にすぎないのですからね。
 僕のいるところを教えましょう。ショピングセンターの一角にあるペットショップの水槽です。これは僕より先に来ていた先輩に聞きました。日本中のどこかには違いないでしょう。でも、それ以上のことはわかりません。その先輩も今はもういなくなりました。十日ばかり前のことです。飼育係のお姉さんの網にすくわれて、男の子にもらわれて行ったのです。
 普段はほんとうに退屈なのですよ。せまい水槽を行ったり来たりするのがせいぜいで、それだって他の金魚がいるのですから、思いっきり泳ぐなんてことはできません。
 しかし、お姉さんが網をサッと入れたときは一大事です。だって、考えてごらんなさい、僕たちがもらわれて行く先はみながよい人とは限らないのですからね。
 そうやって、仲間が一匹、二匹と減っていくのです。水槽がだいぶ空いたころ、新しい仲間が一挙にやってきます。そうして、仲良くなるころは、お別れのころでもあるのです。一度別れてしまえば、もう二度と会うことはありません。
 あゝ、でもこんな愚痴を言うのもつまらない。僕たち金魚は水の外で生きることはできません。生殺与奪の権利は人間にあるのですからね。お姉さんの網に掬われた金魚はどうにもなりません。よい家にもらわれて行くのを、祈るばかりです。

 それでもお姉さんの影が水槽から遠ざかると、みな一安心しました。動悸が治まると、また退屈な時間を過ごさねばなりません。水の外ではハムスターの兄弟がおがくずの中で気持ちよさそうに、まるまって昼寝をしていたり、セキセイインコの夫婦が体を寄せ合って仲良くさえずることもあります。やがて、彼らも離ればなれになってしまうのです。
 僕には大勢の兄弟姉妹がいました。ある日のことです、大きな網に掬われてばらばらにされました。それからまた大きな網に掬われました。そういことを何回か繰り返してここへやってきたのです。途中で力尽きて死んだ仲間もいます。
 初めのころは、男の子がガラスに顔をおしつけたり、たたいたりするものですから驚きました。でも、ガラスの向こう側から、決してこちらに来られないことがわかりましたので、じきに慣れました。
 僕の水槽の右隣は一枚のガラスを隔てて黒出目金です。左のガラスの向こうは流金です。僕たちは和金で、ごらんのとおりフナの子を赤くした感じです。
 正面のガラスは係りのお姉さんが、僕たちがよく見えるようにとブラシで掃除しますが、両横のガラスはこすらないので、藻がうっすらと生えています。僕はお姉さんがまいてくれる粒のごはんより、藻が好きです。僕は出目のほうには行きませんでした。なんだか、大きな目でにらまれるような気がするからです。

 さて、お話ししたいのは、流金たちが、人にもらわれて少なくなっているときのことです。かれこれ二カ月まえのことでした。僕がいつものように藻を食べていると、お姉さんは、新しい流金をたくさん連れてまいりました。たちまちガラスの向こう側、流金たちの部屋は花が咲いたように明るくなりました。僕のほうでも同じことなのですが、新しい仲間は、いったいここはどこなのだろう、と不安な様子で騒いでいました。それでも、先にいる流金が順を追って、教えますから、やがて落ち着きを取り戻し、静かになりました。
 僕はお腹もいっぱいになったことだし、新入りの流金に面白いものはいるかな、と見物しておりました。その時です、流金の女の子が、僕が見ているのに気づいたのです。彼女は、リボンを結んだような尾ひれを優雅に振りながら、僕のほうに近寄って来ました。僕とちょうどガラス越しに向き合いました。彼女は僕に話しかけたのです。
「 あなたは、なにをしていらっしゃるの 」
 僕たち金魚は言葉が話せないと、人間は思っているようですが、会話はできるのですよ。もちろん音は出せません。前びれがあるでしょう、その微妙な動きで会話をするのです。今度、よく見てくださいね、泳いでいるときと動きが違いますから。あゝ、でも流金が和金に話しかけることはめったにないのです。流金は気位が高いので、僕たち和金を相手にしないのです。僕も流金に話しかけられたのは、初めてです。しかも女の子だったので激しく動悸がしました。僕はこれまでのことをなんとか話しました。

「まあ、あなたは、藻を召し上がりますの ? 人間が撒いてくれるでしょう、あの粒しか食べたことありませんわ」
 彼女の言い方は侮辱しているように聞こえましたが、相手は流金です。平静を装って言いました。
「 君はなんにも知らないんだなあ…。ほら、君の前にもあるだろう、ちょっと口に入れてごらん。甘くて、とてもおいしのだから。粒の食事よりよほどおいしいよ」
 彼女は恐る\/口に含みました。
「あなたのおしゃっる通りだわ」
 そのときでした、網の影が流金の水槽に現れたのです。
「君、底のほうに潜って、早く、早く !」
 女の子は何が起こったか、わからなくて、きょうとんとした顔でしたが、とにかく水底へ大急ぎで泳いで行きました。僕ははらはらしましたが、彼女は助かりました。かわいそうに、水辺にいた二匹の流金が掬いあげられてしまいました。網の上で跳ねていましたが、こうなったら運を天にまかせるしかないのです。ところで、彼女はと言いますと、ゆらゆらと上がってきて、
「ありがとう」
 の一言を残し、大勢の仲間のところへ帰って行きました。

 これが逢引のきっかけになりました。僕も彼女も、互いに仲間に知られると揶揄されるので、みなが寝静まった深夜に逢引を重ねました。遠くのほうで、一晩中、点いている電灯の光が、ちょうどよい具合に間仕切りのガラスの辺りに差し込みます。彼女もどこで生まれたかは、知りませんでした。聞いてみると、僕と同じような道を通って来たようです。僕は彼女と逢っているとき、初めて生きている喜びを感じたのです。今日まで、あんなに楽しかった日々はありません。そして、僕と彼女を隔てているガラスの仕切りがなかったら、どんなにか喜びは増したことでしょう。
 彼女の名はCoo(クゥー)※といいます。僕とCooは、しだいに大胆になって昼間も逢引をするようになりました。そのころは、二人とも古参の部類になりましたから、揶揄する者はおりません。僕らは、網に細心の注意を払っていました。僕とCooは黒い影がサーッと水槽に走ったときは、お互いに教えあいました。
古参と言っても、僕は三歳、Cooはたったの二歳なのですよ。

[ ※ 小僧は早口で、聞き洩らした処、多し。わたしは、できる限り再現しようと思う。Cooは実際のところ、難しい発音で、Cue(キュー)であったかもしれない。]

 あゝ、楽しいことは続かないものですね。あの日のことを思い出すと、今でも胸が締め付けられるようです。その前の晩は、僕とCooは明け方近くまで話していたのです。何かの拍子で、会話が途切れてしまうのは人間にもあるでしょう。そのとき、Cooはうつむき加減で、一言づつ区切って言ったのです。
「わたし、あなたの、たまごを、うみたい…」
 Cooはこれだけ言って、くるりと向きを変え、大急ぎで水草の中へと消えて行きました。この言葉を聞いたとき、自分の体がどうにかなってしまいそうでした。暗闇の中で三回も、宙返りをしたのですよ。そして、この時ほど、二人を隔てているガラス板が憎らしい、と思ったこともありません。このガラス板が無ければ、Cooを追いかけて行ったことでしょう。僕とCooが同じ水槽にいる方法はないものか、考えてみました。二人が同じ人間にもらわれて行けば、望みは叶います。しかし、こんな偶然は期待できません。僕は悲しみに沈みました。僕は考え疲れて、うとうとしていましたが、もうすっかり夜は明けて、周りは騒がしい。早起きのセキセイインコは甲高い声で、食事の催促をしています。パッと明るくなって、飼育係のお姉さんの足音が聞こえてきました。
 眠くて仕方がありませんが、昼間はいつ捕まるかわからないので、ぼんやりしていられないのです。しかし、僕は疲れていた。Cooも疲れていたのでしょうね、ぼんやりと漂っている感じでした。僕の頭の中は、Cooの言葉が繰り返されていました。

 その日は眠くて仕方がなかった。ちょっと居眠りした隙に取り返しのつかないことになったのです。網の影が迫っているのに、気が付かなかったのです。にわかに、仲間の動きが活発になったのを知ったときは、すでに手遅れでした。僕ならなんとか逃げられたでしょう。網は和金ではなくて、流金の水槽に差し込まれました。
 僕はCooに「 逃げろ ! 」と信号を送りましたが、気がつきません。ぼんやりしているCooのお腹の下に網が来ました。まだ、逃げるチャンスはあります。元気なCooなら逃げることも可能だったでしょう。しかし、Cooはいとも簡単に網に乗ってしまったのです。僕は水面に出たCooに「跳ねるんだ ! 」と教えましたが、無理でした。Cooが犠牲になっても、流金たちの動揺は続いていました。
 僕の頭は絶望と悲しみと怒りで混乱しました。自分が金魚であるのを、この時ほど恨めしく思ったことはありません。僕はなにもかも忘れるため、泳ぎまわりました。仲間は僕が気が狂ったとでも思ったことでしょう。
「 おい、どうしたのだ ?」
 誰かが話しかけてきましたが、答える気力は失せていました。

 また水槽が翳りました。いっそうのこと、網に掬われて、どうにでもなりたかった。もう網なんか、眼中になくなって、泳ぎまわりました。泳ぎ疲れて死んでしまいたかった。けれど、影の正体は女の子でした。ビニールの袋を提げて、僕たちを見ています。 もしかしたら !
 やっぱりそうです、袋の中にCooがいるではありませんか ! あゝ、なんとCooは悲しい目をしていることでしょう。しかし、こんな可愛らしいCooの目を見るのは初めてです。僕はガラスに顔を押しつけました。Cooは僕に合図してます。
「好き、好き、大好きよ、あなたのこと、大好きよ…」
 僕もCooに合図を送りました。
「好きさ、僕はCooが大好きなんだ ! 」
 ひれが千切れるほど、何回も合図しました。Cooも、好き、好き、好き…を繰り返しました。
 やがて、女の子の母親が来て、二人は水槽から離れて行きました。それでも、僕はCooの姿が見えるかぎり、「Coo ! 好きだよ、Coo、Coo…」
 と叫びました。Cooも懸命に叫んでました。
「 好きよ、好き、あなたのこと、けっしてわすれないわ、さよなら…」
 どんどん、Cooは小さくなっていきます。豆粒になって、そして赤い点になって、ついに視界から消えました。それでも僕は力の続く限りかぎり叫びました。
 僕はCooが女の子に可愛がってもらえるように祈りました。僕にできることは……それだけでした。
それからは、もう誰とも親しくなるのをやめました。別れるときの辛さは、もうしたくないですからね。僕の不幸は僕が作ったんじゃないんですよ。僕の話は、これで終いです。そうそう、僕の名前は、

 足に毬のようなものが、二三度、当たる感触がした。覗いて見ると、虎斑の猫である。私の顔を見ると、人馴れした声で鳴いた。それは小僧が 僕の名前は、と話したときである。小僧は猫の声を聞くや否や、飛び上がり池に飛び込んでしまった。小僧の後を目で追うた。小さな波紋の中央から、金魚が一匹、へなへなと出てきて、他の金魚の中に紛れてしまった。それだけである。





私の夢十夜 第四回


                                                         

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