澁澤龍彦著・毒薬の手帖

「毒薬の手帖」・澁澤龍彦著(桃源社)

久しぶりに澁澤龍彦である。画像は昭和47年発刊の二刷で、帯なし、小キズありの本である。澁澤ブームのころは、これでも一万円前後していた。今では三千円で初版、帯付きの美本が入手できる。澁澤の人気が衰えたわけではないが、大型本は日本の家屋では邪魔になるのだろう。一度入手したコレクターが、手放した例も多いのではないかと思う。私も一時は豪華本を求めたものであるが、今では大概のものは文庫本で済ますようにしている。
ただ、手帖シリーズ三冊は造本が、すばらしくよい出来なので持っている。幻想文学の作家は造本にこだわりがあるように思う。しかし手帖とは言いながら、弁当箱大である。
閑話休題。
さて「毒薬の手帖」は毒薬の製法、及び使用法を述べた悪書ではないのである。本当の意味での「毒薬の手帖」は、一般人の目の届かないところに必ずあるのだ、と信じている。それはエロ本より過激で魂を狂わせてしまう書である。極秘事項を持っているというだけで、優越感を味わえるに違いない。いつの日か入手したら披露したいと思う。
澁澤の書は、古代エジプト、ローマ、ギリシアから現代に到るまでの毒殺史である。よくもこれだけ蒐集したものだと感心するが、これは毒殺が明るみに出た分で、暗闇に葬られたものは、勿論、分からないから、実際には驚くべき数の毒殺が過去に有ったと考えてよい。毒殺は隠微な殺害方である。腕力を用いない特色から、女性が使う場合が多いのは澁澤も指摘している。私は思うのだが、仕掛けるだけで、直接手を下さない利点が、好んで用いられるのだろう。罠にかかったほうが間抜けであるという言い訳も立つ。死体の損傷も最小限で済む。毒によっては病気その他との区別が難しい。大抵は姿無き犯罪で犯人の特定が難しい。こう考えると、毒殺は魅力のある殺害方だ。探偵小説のトリックで使われるのも納得できる。現実に起きた帝銀事件は小説を超えたトリックであった。
この書は、澁澤の書のすべてがそうであるように無用の書である。役に立たない書はいくらでもある。初めから何かの足しになるように書かれたものは、読後に虚しくなるものである。それは著者だけに通用するものであって、万人向けの処方箋でないからだ。多くの人は生涯、毒殺などというおぞましい犯罪と無縁である。だから毒殺史から人生のエッセンスを探るのは不能である。完全に無用の書は、逆説的に開拓される必要のない人間の領域で、ひとたび手を着ければ、忽ちのうちに、眠れる本能が覚醒される毒薬とも言うべきものである。
画像











古代から存在する砒素やトリカブト、その他による個別の毒殺は、今も時折り新聞を賑わすが、これの歴史については澁澤の書に直接当たるのがよいだろう。残念ながら、現代の人間と毒の関係は、巻末でわずかに触れているだけである。
文明の進化は、人間を毒薬と隣り合わせにしたと言ってよいだろう。日本では足尾鉱毒事件が嚆矢で、私の子供のころは水俣病が連日、メディアを賑わしていた。工業技術の目覚ましい発展の陰で、有害物資は、いつでも文明と寄り添うように生産されて、人間の生命のみならず、自然崩壊の危機にさらされることになった。文明を放棄して自然回帰すれば済むことだが、それは空論である。先進国の経済優先がもたらした文明の暗黒の側面である。経済優先は工業の副産物たる毒薬ばかりではない、進んでわれわれは毒薬を体内に吸収することとなった。
「都市生活に欠かせない医薬品や、催眠剤や、鎮静剤は、それらの第一の部類に属する。さらにこれに続くものに、食品の貯蔵を確実にするとか、外観をよくするとかの目的で、食品の中に添加された有毒な物資がある。人工着色剤、防腐剤などがしれだ。第三に、近頃日本でも週刊誌などに取り上げられて話題になった、台所用洗剤、酸、金属磨液などがある。第四には、これらのなかで最も怖ろしい農薬、殺虫剤がある」
付け加えれば、麻薬や覚醒剤の誘惑がある。煙草やアルコールも過度に取り込めば毒薬の効果を発揮する。現代は人類史上始まって以来の毒漬け状態にあるのだ。犯罪も悪質化した。ナチスの毒ガス、ベトナム戦争の枯葉剤などは、戦争を逸脱した集団殺戮と言ってよいだろう。近年、日本では毒入りカレー事件、地下鉄サリン事件が起こった。これらも無差別殺人である。われわれは、いつどこで、毒物の餌食になるか、わからないのである。
毒の定義は「皮膚から、呼吸から、また消化器から、体内に導入され、器官の組織に対して有害な作用をおよぼしたり、急激な死の原因となったりする物質の総称」(リトレ大辞典)だそうでさる。ということになれば、放射能も広義の毒物と考えてよいだろう。広島・長崎の原爆は破壊という側面と毒物の側面があったし、今度の東北関東大震災における福島原発事故は、まさに見えざる毒物の恐怖に他ならないではないか。
原発は無いのが望ましい。が、水力と火力のみで日本の電力需要を賄うのは不可能である。風力、太陽光、地熱発電はひよこ以前の卵で、やっと細胞分裂が始まったばかりであるから、期待できない。百年先の幸福のために、原発を捨てる覚悟があるなら別であるが、一度文明の利益に預かった現代人には無理な相談だ。つまるところ、原発をあやしながら、次世代のクリーン・エネルギーが見つかるまで付き合って行くしかないようである。








(ソクラテスの死)
ソクラテスはあちこちと歩きまわっていましたが、やがて脚が重たくなったと言って、仰向けにからだを横たえました。それとともに、毒を手渡した男は、あの方のからだにさわってみて、やや時をおいてから、脚の下から上の方をしらべていましたが、そのあとで足をつよく圧して、感覚があるかどうかをたずねました。ない、とあの方は答えました。次にまた向こう脛について同じことをしらべ、そのようにしてだんだんと上に移って行きながら、次第に冷たく硬くなりつつあることを私たちに示しました。そして、もう一度さわってみてから、これが心臓まできたらこの世を去るのだと教えました。
《古代人は知っていた》 ※「パイドン」藤沢令夫訳より



(マンドラゴラ)
神秘につつまれたマンドゴラは、古代の催眠飲料、または吐剤として、いちばん古くから重要な役割を演じている。おそらく、ペルシアからギリシアへ、ギリシアから地中海諸国へと伝わったナス科の植物で、不気味な細長い根をもち、何となく人間の形を思わせるものがあって、殊に、黄色がかった、赤い、よい匂いのする果実と結びつき、よけい神秘的な人気を博したものらしい。現在はこの植物から、ヒヨスチンおよびスコポラミンという二つの猛毒性のアルカロイドが発見されたが、化学者がこれを数千年前から、人類はその樹液を催眠飲料に供していたわけである。
《マンドラゴラの幻想》



(毒を持った娘)
娘はやはり幼時から毒の園に育って、全身毒に染まっている。ある晩、若い二人は花園のなかで密会する。そのとき娘は自分の肉体の秘密を明かして、早くこの園から去ってくれと言うが、恋する青年は承知しない。そして美しい月夜、さまざまな香気高い花がいっぱい咲き匂っている毒の園のなかで、二人は接吻しながら、そのまま自然に眠るように、月光の魅力と花園の毒気とに魅せられたかのごとく死んで行くのである。
《毒草園から近代科学へ》



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この記事へのコメント

レミー
2012年02月07日 10:03
そういう本があるのかと思うと怖くなりました。
「身近な毒(食べ合わせとか)」「殺虫剤の毒」については昔から興味がありました。
最近はレイチェル・カーソンの「Silent Spring(洋書)」と「沈黙の春(翻訳本)」とを読み比べて英語の勉強をぼちぼちやってます。
読書に対して「一体どういうものが自分の人生に役立つのだろうか」と選択に迷っている状態。
「澁澤龍彦著・毒薬の手帖」、興味深いと思います。
2012年02月08日 00:06
レミーさん、コメントありがとうございます。
少々、度を越して書いたかもしれませんね。澁澤は歴史の暗黒面や、絵画のエッセィによいものがありますよ。短編小説も奇想天外でよいです。一冊読書リストに加えてみたら、いかがですか ? あれこれ試しているうちに、方向が決まってくると思います。

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