立原正秋著・死の季節

「死の季節」・立原正秋著(角川文庫)

立原正秋の作品を初めて読む。立原は三つのことで好きではなかった。一つは風貌である。いかにも文士然とした神経質で端正な容姿が嫌いであった。もう少し間が抜けているほうが、人間味があってよい。一つは鎌倉の宣伝マンである。鎌倉だけが神奈川ではないのだ。少し内陸のことを書いたら、親近感が持てただろう。一つは美食家であることだ。料理のエッセイは腹が減るだけで面白くない。以上は私の僻みから来ることで、立原の責任ではないのであるが、やっぱり面白くない。読む気になったのは、立原の小説が新刊書店で見ることがなくなったからである。
昭和のころは、どこでも大量に置いてあったものだ。なにか嫌味な感じがした。しかし無いとなると、気になるのが私の性分なのである。一番の理由は売れない作家になったからである。ある作家が存命中は腐るほど本があるのに、亡くなると同時に、本が姿を消す作家はある。たとえば源氏鶏太、森村 桂、石坂洋次郎は典型的である。流行作家は時流に合わなくなると、読者が減るのは運命である。しかし立原は、ブック・オフに行けば、まだあるから安心である。
どこと言って、癖のない文章である。大江健三郎のように文章自体が創作なのは、面倒でやりきれないが、癖のない文章と言うのも、印象が薄い。多少の嫌味もまた個性である。個性が無いのも、一つの個性であるが、立原の文章はすっきりし過ぎているように思う。神経質で端正であることが裏目に出てしまったのかもしれない。
短編集「死の季節」は「セールスマン・津田順一 ― 或いは『三人のセールスマン』」、「梔(くちなし)のある家」、「赤煉瓦の家」、「死の季節」、「海浜風景」からなる。いずれも主流の作品ではないかもしれない。この中では表題作の「死の季節」が一番の力作である。
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「死の季節」は心中に失敗した男女の物語りである。心中がタブーであるのは、言うまでもないが、あえて私は許容するのである。死だけが解決できるのなら、それも一方法だと思うからだ。しかし大抵の場合、死に頼る前に試すべきことがあるのに、感傷的な気分に浸って、自分らの死に意味を与え、美化するのが目的であるから、傍から見ると思慮が欠けているように思うだけで、詰まらないことをしたものだと感じるだけで、心中者の思惑と外れる。それでも心中と言うことに決まったならば、絶対に失敗は許されないと決心するべきである。誰かが途中で助けてくれるなどという、甘い考えであるならば、心中の資格はない。心中は男女の最終手段であるからタブーなのである。
《私》は学校時代の友人・富永悠一郎の妹・夏子と恋仲になる。しかし《私》と夏子は、それぞれ家庭をもっている。《私》はどうかして切り上げたかったが、深みに嵌るばかりであった。《私》は関係を断ち切るために偽装心中を思い付いた。死の一歩手前で、二人は助かることで、別れるきっかけを作れるかもしれないと思ったからである。
小説は決行の日から始まる。夏子の家で睡眠薬を飲む。翌日、住み込みの婆やが、起しに来る時間に生きていれば、二人は病院に運ばれて助かる、という計画である。夏子は《私》の目論見を知らないから、本当に心中する気持ちである。果たして、計画は成功した。しかし、《私》は偽装心中前よりも修羅場に立たされることになった。《私》は夏子から呼び出されたのを契機に、逢引を再開する。妻の笙子は女の感で、《私》の浮気を見抜く。笙子と夏子は、それぞれ内に秘めた本性が露わになって、《私》を苦しめた。笙子は、元軍人の娘で《私》と恋愛結婚であった。無欲で我慢づよくて、家庭を大切にする女であったが、嫉妬深く、猜疑心の強い女に変貌した。夏子は夫とは政略結婚で、愛がなかった。夏子は愛に飢えており、そこに《私》が現れたわけである。夏子は《私》なしでは居られなくなって行った。事件後、夏子は無軌道になり奔放で艶っぽい女になった。それが、《私》には魅力的でもあった。
笙子は精神に異常を来たし、持続催眠療法をすることになった。第五、六、七章の《私》と笙子のやりとりは、白眉である。夏子は笙子が目を覚ますまでに、《私》と別れる心の準備をしたいと言う…。
この小説は《私》の笙子と夏子への二重の裏切りに、復讐されたものである。その根本の原因は《私》だけが助かりたいと言う利己主義である。偽装心中しなければ、《私》と夏子の関係は明るみに出なかったかもしれない。心中というタブーを安易に使ったため、すべてを崩壊させてしまった。

「セールスマン・津田順一 ― 或いは『三人のセールスマン』は虚無主義の男が利己主義の男を崩壊に導く物語りである。品川薬品商事の品川福助は、新たにセールスマンを三人、採用することにした。採用に当たって、福助は給与体系を、これまでの固定給制から完全歩合給に変更した。セールスマンは売れば、売るほど、各自の利益が上がるというわけで、これまで以上に売り上げを伸ばしてくれるだろうという考えである。福助は人情家であった。採用されたのは私立大学出の左翼崩れ、津田順一、前科者の菅原 浩、やくざくずれの藤田三五郎である。通常、こような人物を採用をする経営者はいない。
「津田順一はどこか冷たいところが感じられるが、それだけあの男は理性に反した行動はとらないだろう。菅原 浩はちょっと前科者にありがちな性格だが、しかし小心な善良な男らしい。藤田三五郎は俺のために誠心誠意はたらいてくれるだろう。単純な考えの持主だから、使いようによっては立派な社会人になり得るだろう」
自分が採用したことへの善意に応えてくれるであろうという期待感を信じていた。ところで完全歩合給制は、労働者にとって過酷な条件である。売れればよいが、売れなければ、一か月足を棒にして営業したところで給料はゼロである。福助には固定給を支払うリスクが無いのである。それを売れただけという、善意にすり替えた悪意である。結果、津田順一が頭となって、三人とも横領をする。もともと、この方法は会社と労働者の絆は浅い、また彼らの前歴を見れば、横領されても当然と考えるべきである。しかし福助は善意(悪意)が受け入れられなかったことに愕然とする。
津田は福助に言う、「要するにあなたは、儲けたい一心で、自分の金銭に対する執着を、人間の誠意なんていうわけの分らないものでヴェールし、ぼく達を使おうとしたのだ。冗談じゃない。誠意でゼニ儲けができますか。ビジネス一点張りで、ぼく達に固定給でも支払って、鉄(かな)しばりに雇用契約でも、結んでおけば、こんなことにはならなかったでしょう。人間の誠意なんて、あなたは自分でも、あなた自身に誠意があると陶酔してるんですか ? もう一枚めくってごらんなさい。ゼニに対する自分でも御存じの執着に面つきあたるはずです」
虚無主義が善意の皮を剥いだ瞬間、利己主義が現れたのである。会社の本音と建前を、誇張して書いた作品であるが、快哉したい。立原の薬品セールスマン経験からの小説である。これは経験が無いと書けないだろう。

「梔のある家」はニセ医者に鎮痛剤を売るセールスマンの話し。薬品の作用が詳細に記述されているのは、さすがに元セールスマンである。「海浜点景」は自殺を寸前で、思い留まったある女のこと。「赤煉瓦の家」は日本人と朝鮮人の混血少年の苦悩を書いたもの。思想に陥らず、ひたすら苦悩を書いたことに評価できる。


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