みだれ酒 [建て前が本音だった]

みだれ酒 69 ・[建て前が本音だった]

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晴れ。自分の見た夢をブログに綴っているうちに気がついたが、どうも夢独自のものは無いようである。自分が経験した範囲内で、拡張したり、縮小したり、離反したり、結合をしたりを繰り返すようである。澁澤龍彦のエッセィ「私のプリニウス」は古代ローマの自然学的知識を森羅万象にわたって蒐集したものである。プリニウスの「博物誌」を基に書かれている。この「博物誌」は想像で書かれた部分が多い。澁澤は畸形人間について、「どうも人間の想像力には限界があって、いかに畸形人種を頭のなかで空想したにしても、結局は類型化をまぬがれないのではないか」と言っている。たとえばエイリアンを分解すると、頭部は鮫、体はサソリからきているものと思われる。二本足歩行は人間そのものである。卵はイソギンチャック、幼虫はクモとカニの合成、やや成長したものはコブラである。人が忌み嫌う動物の寄せ集めにすぎない。ただ口の中から口が出るのは作者のアイディアだ。やっぱりモンスターも経験していない事象は想像すらできないようである。
屋根の陰に綿菓子のような雪が残っているのが嬉しい。いつまであるだろうか ? (1/27)
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晴れ。早朝地震が二度。異常なし。 (1/28)
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晴れ。かって日本社会党は自由民主党の批評であった。しかし批評が下手なために、ついに批評家で終わってしまった。代わって、自由民主党の横暴を征伐したのは民主党である。批評は的を得ていた。しかし政権与党としてのビジョンがない。結局、民主党も批評家の枠を出ない。石原新党、維新の会は民主党と自民党の批評である。愛知県知事も名乗りを挙げるに至った。彼らの能力は未知数である。しかし次の選挙で民主党は落城するだろう。
彼らは戦後民主主義がいかに邪悪な思想であるかを披露してくれた。その点で存在意義はあったと思う。だからと言って、石原新党や維新の会、その他にエールを送る段階ではないと考えている。崩壊と再生が始まったばかりである。午後、ブック・オフで「谷内六郎展覧会 《冬・新年》」を見つけて購入。ついでに立原正秋も。値札シールの貼り方を工夫してもらいたい。 (1/29)
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晴れ。谷内六郎の本を捲ってみた。谷内の絵は感情だけで思想がないから、よいのだと思う。絵や彫刻は感情だけで十分だ。なまじっか、思想が入り込むと鬱陶しいだけである。小説は思想がないと、単なる物語である。とびっきり上等の物語なら思想がなくてもよいが、滅多に存在するものではない。映画も思想があると鬱陶しい。戦争映画でありながら「眼下の敵」が面白いのは、潜水艦と駆逐艦の息詰まる攻防戦を描くのに終始したからである。どのような小説家も、あの緊張の連続は表現できないだろう。 (1/30)
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晴れ。 (1/31)
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晴れ。大阪市の「持ち家手当」とは何だ ? だいたい民間で、こんな手当は無いのだから、市長に指摘される前に、市職員は疑問を感じなければダメなんだが、もらっている方は、そうは考えないのだ。小さな市町村は意味不明の手当が有ると思う。 (2/1)
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晴れ。 (2/2)
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晴れ。 (2/3)
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晴れ。昨夜、アクセス数20万回になる。20万回目のゴールは自分で決めた。石原氏は「東京でやることは、やった」と豪語している。もしかしたら、石原総理への野望があるのではないか ? あと10歳、若ければ十分あり得るが。
石原氏くらい年寄りという言葉が不似合いな年寄りもいない。伸晃氏のほうが、よほど年寄りじみているのは、おかしい。/日本テレビのある番組に出ている犬の声帯を切除して吠えないようにしたという話。まったく酷い動物虐待をするものである。食すために殺すのは、ギリギリ許容範囲であるが、映像のために虐待するのはダメだ。むかし、朝日新聞社社員が、沖縄のサンゴ礁を自分で傷つけて、自然崩壊を報道したことがあるが、類似している。作られた情報、あるいは作られた真実が蔓延している。迂闊に信じられない。従軍慰安婦は、その最たるものである。 (2/4)
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晴れ。消費税はやっぱり上がるだろう。上がるのは甘んじて受けるが、一律に上げるのは問題だ。せめて食料品は据え置くべきだろう。生きるに最低限、必要な物だからである。それよか、消費税の前に、獲れるところからは獲るのが筋である。まずは宗教団体から税金を獲るべきである。不必要な講堂やビルを持っている団体はいくらでもある。流石の石原都知事も、知っていながら、このことは絶対に口にしない。公明党に後押しして、もらっているのだから、話にならない。新党は一切の宗教団体、圧力団体と関係しないことである。 (2/5)
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雨。岩波書店が縁故採用を公言しているというので、厚労省が調査するという。詰まらない調査に税金を使うものである。民間会社であるから、縁故は当たり前、縁故を探すのも一つの能力である。それに応募者も縁故が無いならば無駄と分かって、労力を使わずに済むではないか。岩波のように少採用の企業を改善させたところで、体制に影響はない。出版社であるから、学者や作家と繋がりがあったほうが、のちのためにもよいのだろう。岩波を調査するなら、東電やJRのような公益を担う企業に手を入れるのが先だ。こういうところこそ、公平が望ましいのである。市役所だって、一次試験通過後は縁故採用しているのだから、驚くに値しない。 (2/6)
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雨。春のような暖かい日。竹島遊覧の韓国海運会社便に補助金を出している長崎県と対馬市は、どうかしている。いくら観光客獲得のためと言っても、両国には竹島問題がある。典型的な我慾である。こんな不見識では、そのうち、竹島は韓国領に編入されてしまうかもしれない。あきれて、話にならない。 (2/7)
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晴れ。 (2/8)
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晴れ。 (2/9)
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曇り。 (2/10)
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晴れ。小沢一郎氏や鈴木宗男氏は出番がなくなって、橋下徹氏や石原慎太郎氏に横やりを入れたくって、仕方がないようである。彼らは昭和時代の遺物ともいうべき政治家であるから、現代では無用だ。ここらが、潮時なのだが。 (2/11)
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晴れ。パソコンの電源が突然落ちた。この前は、これが故障の始まりだった。嫌な予感。偶々、何らかの加減で落ちたのならよいが。 (2/12)
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曇り。 (2/13)
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雨。  (2/14)
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曇り。 (2/15)
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曇り。 (2/16)
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曇り。 (2/17)
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晴れ。 (2/18)
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晴れ。 (2/19)
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晴れ。 (2/20)
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晴れ。川端康成が旧制中学時代に書いて、現物が見つからず、これまで内容不明であった原稿の掲載雑誌が見つかったそうである。原稿は「生徒の肩に柩を載せて 葬式の日、通夜の印象」というもの。毎日新聞(20日/夕刊)に雑誌の写真が出ている。川端は、この時代に、自分の原稿が印刷された文字になったのを見たとき、ちょっと偉くなった気がしだだろう。私の二十歳くらいまでは、印字になるのは稀であった。何しろガリ版刷りの時代であったから、感想文のコンクールで入賞でもしなければ、まず無理であった。
今日は、自分の書いた下手なものでも、ワードに写して印刷すればよくなった。印刷されたものをみると、見栄えが全然違ってくる。反対に手書きと言うのが少なくなって、その人が、どういう筆跡をしているのか、わからなくなった。意外な人が、ハッとする文字を書いて、驚いたことがある。また、知性を気取っている人ので、誤字だらけのへなへな文字、文章も破綻したのを見て、あきれたこともある。
川端は自分の作品が岩波文庫の一冊に加わったのを喜んだ。それは、半永久的に書店に置かれるのを、約束されたも同じことだからだ。文庫は万葉集から田中慎弥氏まであるのだから恐れ入る。
小説は文庫が存在しなければ、買ってまで読む気がしない。安価(実は安価ではないが、そう感じているだけである)で小型だから、つい購入してしまう。小型本は罪である。ついそこらに置いてしまう。しかし貯まると、置く場所を考えなくてはいけない。三十冊も集まると、かなりの重量になる。文庫だからと言って、甘く見てはならないのだ。
私の持っている小説本のほとんどは文庫で、単行本は三島とか川端の思い入れのある作家の、思い入れのある作品のみである。今や単行本は愛蔵版に等しくなった。最近は電子書籍といのがあるが、現状のパソコンで長文を読むのは辛いから流行らないだろう。読み終わった本を貯めるのも、楽しみの一つである。
大型書店には自費出版コーナーというのがあって、たまに立ち読みするが、購入したことはない。玉石混淆でよいものもあるのだろう。これは潜在的物書きが多いということだ。しかし、ここから文庫への道は険しい。つまるところ、文庫になった小説は、世間から一応の評価を下されたものと思ってよいかもしれない。さらに、半永久に残るのは狭き門である。最近はまた、夜が眠られなくて困る。かと言って、朝はちゃんと起きるのである。早く解決すべき問題に着手してないから、いつまでもそれが心配で、脳が覚醒しているのだと思う。 (1/21)


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