三島由紀夫著・英霊の声

「英霊の声」・三島由紀夫著(河出文庫)

昭和41年6月「文芸」に発表、同年6月30日/河出書房新社刊

著者の天皇観を二・二六事件の青年将校及び神風特別攻撃隊の霊を通して表した作品。エッセイ「『道義的革命』の論理― 磯部一等主計の遺稿について」、「「二・二六事件と私」抄」は著者による作品自解である。一言でいえば怖い小説で、昭和天皇に裏切られた者たちの叫びである。経済の繁栄に浮世を費やす堕落した戦後の日本人への警鐘でもある。浅春のある夕、主人公である「私」は木村先生の帰神(かむがかり)に列席した。神主は二十三歳の盲目の青年・川崎重男が勤める。川崎は十八歳のとき事故により両眼を失明したが、それから霊眼を開かれた人である。木村先生の導きにより、まず二・二六事件の青年将校が、続いて神風特別攻撃隊の御霊が川崎重男に降りる。どちらの御霊も昭和天皇に裏切られた恨みを述べる……。
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二・二六事件の青年将校の霊は陛下を取り巻く奸臣佞臣を討ち、民の貧困、苦しみを陛下に知らしめ、天皇親政により民草を救うために挙兵したが、その声は陛下の耳に届かず、それどころか叛逆の徒の汚名を着せられた。真の国体を開眼しようとした自分らの心を大御心は拒否された。
実際の叛乱軍は首相官邸、陸相官邸、陸軍省、参謀本部を占拠したが、革命軍としては致命的な甘さがあった。ここまで来たら皇居を占拠すべきで、最終的には天皇ののど元に刃を突き付け維新大詔を勝ち取る覚悟が必要であった。西欧の革命家ならそうしたろうし、彼らの「道義的革命」は理解しがたいものだろう。この事件は革命に「待つ」は致命的で、一度始まったら行くべきところまで行かなければ、不首尾に終わることを青年将校たち自ら証明した。革命軍は失敗したら単なる叛乱軍である。しかし陛下ののど元に刃を突き付けなかったから、叛乱軍でありながら国民は彼らの行動に同情的になったとも言える。「道義的革命」はあまりに日本的な革命様式である。ところが陛下は彼らの敵の側にいるのであるから維新大詔を出すはずがないし、陛下の許可なく兵と武器の持ち出しは、理由の如何により私用に過ぎない。明治維新以来の新政府を肯定している陛下が怒るのは最もなことである。小説の青年将校像は著者が磯部一等主計の遺稿より掘り起こしたものである。彼らの国体は抒情詩である。
著者の二・二六事件に対する感情が「文化防衛論」に述べられているので引用する。
「もし国家権力や秩序が、国と民族を分離の状態に置いているときには、「国と民族との非分離」を回復せしめようとする変革の原理として、文化概念たる天皇が作用した。孝明天皇の大御心に応えて起った桜田門の変の義士たちは、「一筋のみやび」を実行したのであって、天皇のための蹶起は、文化様式に背反せぬ限り、容認されるべきであったが、西欧的立憲君主政体に固執した昭和の天皇制は、二・二六事件の「みやび」を理解する力を喪っていた。」

昭和天皇の判断を文化概念でとらえるのは失笑せざるをえないが、著者の天皇観はまさにここにあって、菊と刀が最終的にフィットする「みやび」の感情である。「『道義的革命』の論理― 磯部一等主計の遺稿について」に挿入されている磯部の断片を見ると、著者の天皇観に適合し、また実践者であったことが、本作を書かせる動機になったのは自然の流れであろう。ただしすべての青年将校が磯部と同一の価値観でないことは著者も述べている通りで、むしろ磯部は特異な存在であった。本来天皇に対する感情は一方通行の恋であるべきだが、国体と言う「心と血のつながり、片恋のありえぬ恋闕(れんけつ)の激烈なよろこび」を求めたことに間違いがある。現人神とはいえ、天皇は我々と同じ生身の人間であることに違いなく、明確な意思を持っているのだ。逆に言えば、それだからこそ双方向の恋を求めたのだが、これは観念上の天皇と存在としての天皇の混同に他ならない。それは著者の観念上の天皇の対比としての、存在としての天皇に対する失望として磯部と共通の認識を持つ。失望は天皇の人間宣言でより明確な形になる。それは次の特攻隊員の御霊に語らしている。

「われわれはもはや神秘を信じない。自ら神風となること、自ら神秘となることとは、そういうことだ。人をしてわれらの中に、何ものかを祈念させ、何ものかを信じさせることだ。その具現がわれらの死なのだ。しかしわれら自身が神秘であり、われら自身が生ける神であるならば、陛下こそ神であらねばならぬ。神の階梯のいと高いところに、神としての陛下が輝いていて下さらなくてはならぬ。そこにわれらの不滅の根源があり、われらの死の栄光の根源があり、われらと歴史をつなぐ唯一条の糸があるからだ」
しかし激烈な死をしたにも係わらず神風は吹かなかった。御霊はしばらくはその理由が分からなかった。が、そのわけは終戦後にわかった。
「われらは神界から逐一を見守っていたが、この『人間宣言』には、明らかに天皇御自身の御意志が含まれていた。天皇御自身に、『実は朕は人間である』と仰せ出されたいお気持ちが、積年に亙って、ふりつもる雪のように重みを加えていた。それが大御心であったのである。忠勇なる将兵が、神の下された開戦の詔勅によって死に、さしもの戦いも、神の下された終戦の詔勅によって、一瞬にして静まったわずか半歳あとに、陛下は、『実は朕は人間であった』と仰せ出されたのである。われが神なる天皇のために、身を弾丸となして敵艦に命中させた、そのわずか一年あとに……」 こちらは青年将校よりも深刻である。もともと天皇自身は現人神の認識はなく、国に担ぎあげられた偶像であることを暴露した。しかし天皇を現人神と信じた特攻隊員は双方向の恋闕の情の成就を冀って飛び立った。神でない天皇が神風を吹かせられないのは当然である。御霊は天皇が人間であるのはよい、せめてわれらが敵艦に向かうときだけでも現人神であるべきだったと恨みを述べる。しかし天皇の人間宣言そのものが御霊にとって裏切りである。

現実の特攻隊員の遺書は「わだつみのこえ」に一部収録されている。天皇陛下のために出撃というのは無かったように記憶している。(記憶違いかもしれないが) だいたいが、この戦争は負けるであろう、しかし家族や恋人や国民が自分らに一縷の期待をしているので出撃するというものであった。二・二六と違い、出身は士官学校に限らず帝大、高等専門学校、私大とさまざまである。天皇に対する感情に温度差があるのは当然と言えよう。ただ、天皇陛下万歳系の遺書は省かれているから、御霊のような特攻隊員も居たことだろう。しかし御霊の心が分からない以上、人間宣言を恨んでいるかも分からない。これは著者の天皇の人間宣言に対する恨みと言ってよいだろう。結局のところ、著者の神的天皇像、具体的には文化の総覧者、イマージュとしては白馬に跨った凛とした軍服姿が、二・二六事件の処置で西欧的立憲君主政体の機構の一つに過ぎないことが暴露し、人間宣言で現人神でなかったことが暴露され、国民との関係が相対的になったことで、実在の天皇が観念的天皇をズタズタにしたことへの苦言を御霊の声を借りて語られたものである。著者の天皇は昭和20年8月15日で消滅したと言ってよいだろう。


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この記事へのコメント

われ
2014年07月01日 13:15
戦争をしたがる安倍には首相官邸にいた青年将校の御霊が憑依しているから 成仏させたげとくれ あの戦争したがりの前身は 潜水艦等を作る神戸製鋼である

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