夏の一日 第一回

夏の一日



第一回

 
 ステンレスの盆にできた水たまりに、小指の爪ぐらいのコガネムシが逆さになって、さかんに六本の脚を動かしているのを見たときに、あゝ、もうこんな時間になったのかと思った。夏の日差しは、網戸から容赦なく漏れて、しょうゆを塗りたくったような畳に火を付ける勢いだ。頭を起こそうとしたら眉間が痛い。私はどういうわけだか、酒を飲み過ぎた翌日は、いつもこうなのだ。それでも、清水の舞台から飛び降りる勢いで、上半身を起こした。盆にはスイカの皮が狼藉三昧、三枚がこぼれ落ち、汁が畳の色を濃くしていた。コガネムシはまだもがいている。盆の脇に並んだ焼き鳥の串は、いかにも汚らしく見えた。佐伯と羽田はビール缶でいっぱいの座卓を挟んで倒れている。
 柱時計に目をやる。午前十時半である。部屋の外からハタキのぱたぱたとやる音がする。日曜日ぐらいは、掃除をしなくてもよいのにと思う。あのせわしない音とには閉口する。きれい好きの由紀子も、客の手前がある、ここにハタキをかけに来ることはないだろう。
 昨夜は多摩川べりで花火大会があった。同僚の佐伯と羽田と私とで、仕事帰りに見物に行ったが、二十発も見たら十分で、そそくさと会場を後にした。
 屋台でビールと焼き鳥をたっぷり仕込み、ついでに会場から降りる手前に、水槽に漬けたスイカを売っているテントがあったので、それも景気よく買い込んで、三人でわが書斎になだれ込んだ。着いたのが午後九時半。
軒燈は煌々としていた。目をやると底に虫の死骸が溜まっているのが気になった。扉をあけると、茶の間から由紀子がすり足で出て来た。案外、機嫌はよさそうである。麻衣は寝たのかと問うた。由紀子はこの暑さでむずかって、さっき、ようようのことで寝かしつけたと言う。私の後ろから、スイカの網をぶら下げた佐伯が、続いてビールの入った袋を抱えた羽田が入った。二人とも妻と久闊の挨拶を交わす間ではない。たびたびわが家を訪れているので、簡単な挨拶を済ませて、書斎に招き入れた。
 さあ、これからが花火大会の本番である。獲物を放りだして、さっそく宴会の始まりだ。由紀子はコップとナイフを盆に乗せて持ってきた。
「麻衣は寝ているのだろう。お前もちょっと飲んだらいいじゃないか」
「でも、明日が早いから……」
眉間にしわを寄せて、上目使いで私を見る。その顔つきがなんとも迷惑そうであった。
「まあ、奥さん、ちょっといいじゃありませんか。ねえ、こうして肴もたくさんあることだしね」
 佐伯は座卓に焼き鳥の包みを拡げながら言った。
「そうそう、固いことは言わないで。明日は日曜日なのだから、寝坊したってかまわないじゃないですか」
 と、早くもビールを喉元に流し込んだ羽田が追い打ちをかけた。こう攻められては、出て行けず、宙に浮かしていた腰を畳に降ろした。
 先ずはしきたり通りに皆で乾杯、しばらくは無言で飲んだり、喰ったりで腹を作ることに専念。佐伯はシャツのボタンを外して、胸を掻きながら、ビールをごくり\/とやる。ビールが一先ず済んだ羽田は、焼き鳥を攻めに懸かる。佐伯は立膝ついて、ビールを座卓にトンと置くと、煙草に火を付けた。スリー・セコンド経って、鼻から二本の紫煙が流れた。宙を見ながら、しみじみと、
「どうも人間はわからないね。先々週の今日だけれども、伯父が亡くなって会社を休んだのは。その三日前に僕は合っているのだが、ぴんぴんしていて、死ぬなんてことは考えられなかったよ」
「そういうことは、よく聞くね。三日前に合ったのはやっぱり虫の知らせじゃないか」
 羽田は、三本目の蓋を開けながら言った。
「前日の夜、十一時ごろのことだ」
「何か、有ったかい」
 ぷうとまたもや紫煙の二本線を吐き出してから、一呼吸おいて、
「僕と家内は居間でテレビを見ていたのだ。そうしたら玄関の呼び鈴が聞こえるじゃないか。こんな夜に客が来るのは変だと思った。また聞こえた。二人で顔を見合わせたね。仕方がない、恐る\/、扉を開けると、誰も居なかったのだよ。これは虫が触って電気が流れたのだろうと決着つけて一安心した」
「まあ、気味が悪い」
「呼び鈴のことは、すっかり忘れて寝床に入ったのが十二時だ。灯りを消すと、じりじりりんと電話がけたたましく鳴る。若い者の間違い電話だろうくらいに思って放って置いたが、一向に止まない。その音がさ、何かを訴えているように聞こえるのだ。僕は身内に不幸が起きたのではないかと思った。さっきは自分が出たのだから、今度は家内に出るように言った」
「出たら、伯父さんが倒れたというわけか」
「そうじゃない」と私を制して、
「もしもし、と家内は言うけれども、向こうは苦しそうにうっ\/と低い声で呻くばかりだったそうだ。そのうちに電話が切れちゃった。いたずら電話に違いないと思った。明け方の六時ごろだ、僕はまだ寝ている時間だ。電話が鳴る。朝飯の支度をしている家内が電話をとった。ごそごそ言っているから、間違いじゃないと思った。終わってから、家内が僕をゆすって、伯父が亡くなったと言った。僕は跳ね起きて聞くと、昨夜の十一時ごろ、伯父はトイレに行ったが、なかなか出て来ないのを不審に思った伯母は、ドアを開けてみた。伯父はうつ伏せになって倒れていたという。すぐに救急車を呼んで病院に運んだ。診断の結果は脳溢血だった。明け方まで、半死半生でなんとか持ちこたえたが、力尽きてしまったというわけだ。呼び鈴が鳴った時間は、ちょうど伯父が倒れた時間だ。追い打ちをかける無言電話……。やっぱり僕はあると思うね」
「おっと、蚊に刺された」
 羽田は左腕を叩いた。
「そのときは葬式のことで頭がいっぱいだから気が廻らなかった。初七日が終わって一段落つくと、思い当たる節がある。家内に話したら、自分も考えていたと言った」
「それから呼び鈴と電話が鳴ると、二人でびくびくしている」
「それは、ちょっと恐くなるな」
「僕のことではないのだがね」
 待っていましたとばかりに、羽田は身を乗り出した。
「君にもあるのか」と私は問うた。
「直接は関係がないのだがね、まあ、聞いてくれ。もう二十年ばかり前のことだ。大学の学園祭のときだった。僕は友人の富田とお化け屋敷に入ることにした。学生のやることだ、どうせたいたことはなかろうと思っていたが、なかなかどうして。安物の遊園地より上出来だ。潰れた遊園地から失敬してきたのだろうか。入って早々、二個の火の玉がお出迎えだ。それが炎の帯を引いて宙に浮いている。ぎいと棺が開くと、三角頭巾をした死人が立上る。そいつの顔ときたら焼肉のように爛れて、片方の目玉が糸を引いて眼球から飛び出している。さすがの僕も寒気がしたねえ」
「そこで本物の化け物が出て来たのだろう」
 佐伯は串をくわえて、にやにやしている。
「ハハッ、そう先回りされては困るが、辛抱して聞いてくれたまえ。ずんずん行くと、頭上から骸骨が落ちてきてね、地上から二十センチくらいのところで足が止まって浮いた。上から吊り下げて、客が来ると、学生が落とすのさ。しかし、突然落とされるとびっくりするね。わっと僕は不覚にも声を出しちゃった。上のほうから女子学生が笑っているのが聞こえる。まったく莫迦にしていると思った。僕の後にいる富田に、早く出ようと言ったが返事がない。振り向いたらいなかった。確かに僕の後についてきたのだ。逆戻りしたのかと思ったが、そんな非人情なことをする男じゃない。しかたがないから、どんどん進んで出てきちゃった。出口は入り口の横にある。もぎりの女子学生に連れの男はでて来たかと聞いたら見ていなという。僕は三十分、待ってみた。でて来ない。一時間待った。でて来ない。面倒になって帰っちゃった。喉がからからだ。続きはちょっと待ってくれ……」
 遠くのほうで花火の上がる音がする。ずいぶん遅くまでやっているものだと思う。隣の電灯が消えて外は真っ暗になった。羽田と由紀子は盛んにスイカを喰っている。どうも佐伯の話は作り物めいているのでかなわない。しかしここまで来て水を差すのも気の毒であるから、私が相手をすることにした。
「結局、富田という男はどうなったのだい」
「それが、実に不可解な事件に遭遇していたのだ。僕は夜になって富田の下宿に電話をしたが、やっぱり帰っていなかった。そんなに心配はしていなかったのだがね。どこに雲隠れしたのかと思ってね。明日になれば学校で会えるぐらいに考えていた。ところが翌々日の朝刊を見て驚いた」


                                                               ⑦―①

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