夏の一日 第二回 

夏の一日



第二回

 
 でたらめかと思っていたが、新聞の二文字を聞いて、にわかに真実味を帯びてきた。由紀子と羽田は口の動きが止まり、佐伯の顔を見た。
「地方版の隅に、一昨日、真鶴で富田がおぼれて、漁師に助けられた記事が出ているではないか。どう考えたっておかしい。その日は僕と学園祭に行って、お化け屋敷に入っているのだからね。それも三時を廻っていた。漁師に助けられたのが三時半ごろだ。東京からどうやって真鶴の海岸まで、そんなに早くに行けるかね。僕は富田がおぼれたことより、そのことに驚いた」
「新聞によると地元の病院に収容されているらしい。さっそく僕は見舞いに出かけた。案外、富田は元気で明日にも退院できるという。話を聞いてみると、どすんと骸骨が降りてくるまでは僕が前にいたそうだ。問題はその後でね、静まると、僕も骸骨も無くなって、葦の生えた河原みたいになっていたそうだ。広々として果てしもなく続いている。空は雲で覆われている。霧が流れて視界は悪い。これには驚いたけれど、よくできた仕掛けだと思ったそうだ。突っ立っているのもなんだから、進んでみた。ところが、どこまで行っても果てしがない。同じところをぐるぐる廻っているみたいだ。
と、草むらが動いて、白い着物姿の女がよろよろと立上った。幽霊役の女子学生だと思って、出口を尋ねた。『外にはもう出ることはできません。私と黄泉の国に参りましょう』と女子学生は答えた。髪はザンバラで顔は良く見えない、腰はコルセットで締め上げたように細い、手首は無数の静脈が透けて見える。扮装にしても気味が悪いと思った。富田はこの分じゃ期待できそうだと思って、ついて行くことにした。
女が先に行くのだが、石に躓いて倒れてしまった。とんだことになったと思って、女を起こした。すると、喉が二、三回、ぴくぴく動いくと、薄い唇から鮮血があふれた。着物は血だらけ、富田の顔にも服にも飛び散った。不愉快に思った富田は、『これはやりすぎだろう』と注意をした。女は何か言いたいみたいで、口を動かしたが、二回目の吐血をした。このへんでちょっとおかしいと気づいたらしい。助けを求めて声をだしたが、こだまが返ってくるばかりだ。このまま、女を放置しておくこともできないから、背負って運ぶことにした。背負うといかにも軽い。いくら痩せていても四十キロはあるだろう。コートを三枚くらい羽織った感じだという。女に問うのは無理だから、ええい、このまま、どんどん行けば出口が見えるだろうと思って歩いた。不意に大きな石に、今度は富田が躓いて、前にのめってしまった。ところが石の先は穴で、どんどん落ちて行く。女はするりと背中から抜ける。その瞬間に、髪に隠れていた顔が見えて驚いた。富田は『あっ』と叫んだが遅かった。なんでも自分のよく知っている女だったというのだねえ。しかし、いま思い出そうとしても、女が誰であるのか、さっぱりわからない。あの一瞬に記憶が蘇って、すぐに消し去られたと言っている。気がついたときは病院のベッドの上だったというわけだ」
「警察のほうはどうなった」
 話が上手くでき過ぎているので興ざめだ。こういう話は、少年誌で読んだ記憶がある。やっぱり人間の考えには限界があるのだろう。経験した以上のことは、考えられないらしい。退屈になって、あくびを噛み殺した。景気づけに、ビールを一気に飲み干した。腹が熱くなって、目の前が明るくなった。佐伯は興がっている。私は芝居を演じるのは下手であるから、佐伯にまかせることにした。
「うむ。初めは自殺と思っていたらしいが、案外元気なので、遊びに行って崖から足を滑らしたということに落ち着いたらしい」
「やっぱり、そういうことはあるのだよ。超自然現象に出くわしたら、どうにもならない。日本には年間、十万人の失踪者がいる。原因のわかっているのはよいけれど、ある日、会社をじゃあと言って帰った男が、翌日には消えているのはよくあるそうだ。仕事は順調に行っているし、私的にも失踪する原因はまるで見当たらない。そういう男の部屋に行ってみると、今の今まで人が居たような具合になっているらしい。うっかり異界に足を滑らして、戻って来られなくなってしまったのだと思うね。君の友人は運がよかった。水野君はどうだ」
「無いな。おまえ、どうだ」
 由紀子は首を横に振った。羽田の後ろに柱がある。その上に時計が掛かっている。それがぼんぼんと十一時と知らせた。音で目覚めた麻衣は居間で泣く。由紀子は居間に目を走らせ、これを潮に、麻衣のスイカを一切れ持って出て行った。こんな役は自分が引き受けたいぐらいだ。
「今日は百物語かい。僕は聞いているから、どんどんやってくれ」
「そう、あるものではないさ。ほら、佐伯君も知っているだろう、財務部の石坂、五月に結婚した男さ」
「奥さんが、たいへんな美人で評判の」
「そうだ」
「どうかしたのか」
「なにね、水野君の奥さんが居たから言えなかったのだが」
「おい、ちょっと待ってくれ。女房が関係しているのか」
「いや、そうじゃない。新婚早々にしょげているから、訳を聞いてみたのだ」
「おもしろそうだ」
「ある日、残業で遅くなって帰ると、細君が風呂に入っていたという」
「亭主より先に風呂に入っているので怒ったのか」
「マア、待ってくれ。いまどき、そんな旧弊な男もいないよ。石坂はテレビを見ていたのだ。細君が風呂から上がって、部屋に入った気配がしたので振り向いた。すると、知らない女が立っていたのだという」
「そいつは恐いなあ」と佐伯は目を輝かした。
「やっぱり幽霊かい」
 網戸に大きい虫が突進して地べたに落ちた。
「これまで、細君だと思っていたのが幽霊で、目の前にいる知らない女が本物の細君だったのだ。石坂の前にいるときは、いつも化粧をばっちりきめていたのだが、もうこの辺で素顔を見せてもよいと思ったのだね。あまりの違いに、石坂は頭が混乱してしまったそうだ」
「ハハハ、そいつは恐いね」
「百年の恋も冷めてしまったというわけか。しかし女は化粧するものと決まっているじゃないか」
「水野君は知らないから簡単に言う。化粧術の進歩は我々の想像をはるかに超えている」
「ほう、そんなに違うのか」
「違う」
「どの程度なんだい」
「おかめが別嬪さんに変身すると思ってくれ」
「美人はどう変身するのかい」
「怖い顔になるね。度を過ぎた美は醜悪になるのだ」
「ハハハ、おかめが本当は美人だってこともあるわけだ」
「油断できないね」
「それで石坂には、なんと言ったのだ」
「なにね、一年も経てば、女房が美人かおかめか、理解できなくなるから心配するなって言ってやった」
「慣れというのは恐いよ」
「水野君でもそうかい」
「大きい声では言えないが」
「アハハハハ……」
 いったい何時に寝たのだろう。私が一番先に倒れたのは確かで、佐伯と羽田のとりとめない話は、うっすらと聞こえていた。二人も知らないうちに倒れてしまったのだろう。その証拠に、蛍光灯は点けっぱなしであった。
 私が起きた音に気が付いて、どちらが先というわけでもなく、二人は起き上った。三人で簡単に宴の後始末をした。蓋を開けていない缶が三つ残っている。ビニール袋には、とても三人で飲んだとは思えない缶が詰まった。体にアルコールが残ってだるい。二人もくたびれた顔をしている。まるで吸血鬼に魂を抜かれたようだ。



                                                                ⑦―②

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