永井荷風著・夢の女

「夢の女」・永井荷風著(岩波文庫)

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 明治36年5月、新声社(後の新潮社)より単行本として上梓される。時に荷風、23歳である。まだ新進作家であるが、これをみる限り、すっかり老成した作家の小説で、世の中の風情といい、作中人物の内面の心理、構成は若年者の書いたものとは思えない出来である。若干の戯作臭があるものの、文章はまったく素直で刺がない。いや、むしろ戯作臭の調味料が風情を醸し出していると言えよう。昨今の芥川賞は珍奇な趣向が好まれるが、これを読むと、オーソドックスなのが本来の小説の有るべき姿であると思う。
主人公・お浪はエミール・ゾラの「居酒屋」、「ナナ」の影響は、やっぱりあるが、それは構成のことで、人物はナナのような気性の激しさはなく、またスパイラル的に状況が悪化するわけでもなく、浮草のように社会の底辺に漂い、環境次第で浮いたり、沈んだりを繰り返す。お浪は決して悪女の部類ではない。
元三州岡崎藩士の父(山口義之進)と母(お慶)もまた武家の娘であるが、時世に遅れて一家は零落した。(他に妹・お絹がいる)そこで、お浪は奉公に出る決心をする。16歳のときである。名古屋の陶器製造商の小間使として行くが、主人の囲い者となり、お種ができる。これが転落の始まりで、主人は急死して、本妻から手切れ金100円と養育費50円をもらって、一切の縁を切られることに。お種を老婢(お浪が使っている女中)の娘の縁続きの、ある足袋屋に預ける。
一度は実家に帰ったが、一家救済のため娼妓になる。毎月10円、国元へ送る決心をしたが、算段してみると無理であった。そこで自由営業になるべく、出入りの小田辺という男に目をつけ、口説いて200円という大金を出させる。(見受けではない)のちに小田辺はお浪に騙されたのを悟って、失望して自殺をする。唯一、お浪が悪女を発揮するシーンである。(娼妓相手に、見受けの形をとらなかった小田辺にも甘さがあるといえよう) 新造の悪知恵なども借りるのだが、すべて最終的には自分で判断して行動するところに逞しさがある。
余談だが、新造は娼妓の世話をする女郎の卵であるが、新造・お松はお浪より年上で機知もあるので、調べたら、番頭新造というのがあって、器量が悪く娼妓として売り出せない者や、年季を勤め上げた娼妓が務める場合があったという。お浪付きの新造・お松はそれであろう。これは初めて知った。
次に相場師の上郷利兵衛の贔屓になり、娼妓を廃業して、また囲い者になる。だが、陶器製造商の先例があるので、いざという時のために片商売をしたいと願い出る。利兵衛は借金に苦しんでいる小待合を見つけて、そこの女将にお浪を据える。
お浪は利兵衛に相談して、岡崎から義之進、お慶、お絹を東京に呼んで、一家で待合に住むことになった。お種も老婢から引き取った。待合は活気を取り戻し繁盛する。なにより、お浪の若さと美貌、それに勤勉さが水商売に向いていたのである。しかし、よいことだと思っているわけではない。お絹も仕事を手伝うようになった。
女手一つで、一家を支えるのであるから悲酸といえば悲酸にちがいないが、あまり陰惨なものを感じないのは、これが駄目なら、次はこれと、考える暇もなく生きる術を探さなければならないからである。悲酸を享受している余裕はない。お浪は下劣な娘ではなく、どちらかといえば、武家の面影を残した上品な娘である。それが、こうまで逞しいのは、自分の為というより、一家の為という大義があるからである。また、それがあるから進んで身を落すのも可能なのである。お浪は女、それ自体が商品であるのを最大限利用しているに過ぎないのである。それと明治という時代は完全に男社会であって、女が能力を発揮して仕事をする場がない。女学校出の娘でも、せいぜいのところが教員で、それもごく一部である。女が生きていくには、男に頼らなければならなかった時代である。そこで手っ取り早いのは水商売であるが、ここでもスポンサーを持たないことには話にならない。
それから二年経った、営業は盛運に向かうばかりである。お絹は愛嬌ある顔立ちで待合の人気者に成長した。が、本能も芽生えてきた。利兵衛は他に女が出来て寄り付かなくなり、心配になったお浪は、かねてからの約束、〈万一利兵衛が何の過ちもないお浪を、ただ一時の浮心で見捨てるような場合には、待合はその営業の名前通り永久お浪の所有にする〉他があるので、相談に行ったがはぐらかされるだけだった。
お絹は役者について待合を飛び出してしまう。落胆した義之進は、いよいよ耄碌して、正月の三個日も過ぎた朝、お種と風呂に行った帰り、お絹の幻影を見て、そっちのほうへ駆けて行く拍子に、郵便馬車にぶつかってしまった。それがもとで正月6日の夜、息が途絶えた……。
お浪は自分で決断を下すが、なにかと後押しをするのは、母親のお慶である。お浪が深川の遊郭に行くとき、半分はお慶の謀があったからである。〈今、お慶は現在の窮乏を救う方法と、此に美しい一人の娘を持っているという、この二ツの事を、全く何らの関係もなく隔離して考える事は出来なくなった。混乱し麻痺した母親の心は最早やいうまでもなく正しい判断力を失っているのである〉
東京に来てからは、以前より活発となり若くなった。お慶は、悪魔的なものを持っており、それは二人の娘に受け継がれていて、お絹によりいっそう、その傾向がみられる。この小説に残酷臭がないのは、荷風の詩情を持った文体にもよるが、お浪に恋愛譚がないからである。入れたら構成上、悲恋は避けられず、ジメジメしたものになってしまったであろう。


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