三島由紀夫著・花山院・日曜日・箱根細工・偉大な姉妹・朝顔

「ラディゲの死」・三島由紀夫著(新潮文庫)より


(花山院) 昭和25年1月、「婦人朝日」に発表、26年7月、「遠乗会」(新潮社)に収録。

 
 安倍清明の一挿話。寛和二年のころである、清明は若く美しい花山帝の治世が長く続くよう祈っていた。だが、星占いをしてみると、近いうちに異変があるのを示していた。〈「この星を克しているのは弘徽殿の女御だ。今は世にないない弘徽殿の女御の霊だ〉と独り言をした。帝と女御は至福の日々を送ったが、寛和元年七月十八日、弘徽殿の女御は急逝した。女御の霊が帝に取りついているのだが、帝はかえって喜ばれ、それにすがって生きていた。清明は帝の治世が終局にあるのを理解していた。寛和二年六月二十三日、藤原道兼は、いずれ摂政になろうという野心があって、しきりに帝に出家を勧めた。帝は決心した。夜、安部清明の家の前を通ったとき、何者かが後姿を拝んだのを報告した。
〈「こうなることを、私はとうから知っておりましたのじゃ。しかし誰が防ぐことができましたろう。私は我君の千代を祈り、いく日かは寝食を廃しました。しかしこうなることをほんの一寸でも動かす力が私にはありませんでしたのじゃ。私は余計な奏上を差控えました。今もまた、こうして路傍の人同士のように、すれちがってお別れをいたしました。これでよろしいのです。人間にはこれ以上のことはやろうとしてもむだな試みです。お健やかに ! 陛下。上皇としての御半生のほうが、前の御半生よりもはるかに安らかな愉しい月日となりますように」〉
治世に生きるよりも、女御との思い出に生きるほうが帝のためだと判断した清明は、あえて道兼の策略に任せる。清明が藤原兼家・道兼父子の野心から帝を守ったのは、三島の文化的天皇観と一致する。帝が政治に関係しないためには、兼家・道兼から遠ざけるのが一番である。清明のなにも手を打たない処置は、天皇の本質に忠誠を尽くすためである。


(日曜日) 昭和25年7月、「中央公論」に発表、26年7月、「遠乗会」(新潮社)に収録。

 財務省金融局に勤めている幸男と秀子は日曜日ごとの予定を立て、何があっても実行することにしている。それで同僚は二人を日曜日と渾名した。幸男の手帳は、日曜日ごとに、その日曜日の一区切りが色分けされている。秀子と過ごす予定で、緑は山や林や野原、藍いろは海や湖、薄茶いろは、グランドの土を意味で野球、黒は映画という具合に。一九五○年四月十六日の日曜日である。二人はS湖にピクニックに来た。
〈「あたしとあなたは、世界の秩序を支えている小さい妖精の恋人同志のような気がするの。世界がまだ壊れないでいるのは、あたしたちのお蔭のような気がするの。だって、そうじゃない ? 三月さきの或る日曜日が藍いろであるべきなのに、まちがってそれを緑に変えてしまったら、大へんなことが起りそうな気がするわ」〉
帰り、二人は駅のホームから転落し、電車に挽かれて死ぬ。空っぽになった二個の椅子を見て、同僚たちは呟いた、〈「ごらん ! 日曜日は死んでしまった」〉二人は意思的に死んだのではなくて、偶然の惨事である。これは戦争の記憶から材料を得たものであろう。将来が約束されない時代では、一回の逢瀬が最後になるかもしれないから真剣であったが、必ず逢える時代では恋に真剣さはなくなった。ところが秀雄と秀子は、時代に裏切られてしまったのである。絶対ということが保証されない時代へのイロニーである。軽快なテンポで来たところに、最後のオチの残酷臭が効いている。


(箱根細工) 昭和26年3月、「小説公園」に発表、26年7月、「遠乗会」(新潮社)に収録。

 丹後商会は写真機を扱う店で、銀座七丁目にある。慰安旅行は年二回、盆暮れに行われた。実直さと客扱いのうまい番頭がいつも幹事で、盆の慰安旅行は箱根行に決まった。
〈一行は火曜の朝はやく発って芦の湖へ行き、そこで舟遊びや水泳に午後をすごし、日暮に強羅へ下りて宿屋でどんちゃんさわぎをやらかした上、一泊して朝十一時の開店に間に合うように銀座の店へ帰ればよかった。〉店員の松原秀夫は小柄な若者で、年は二十一である。秀夫は二三日前から風邪気味であった。芦の湖で皆にならって、水泳に興じたが、それが祟って、四十度近い熱を出す。宿で秀夫は別室に寝かされ、皆は宴会をした。主人は抜け出し、秀夫の様子を見に行くが、途中で鹿の子という芸者に捕まって、一緒に行くことになった。鹿の子は秀夫の看病を申し出る。一行は秀夫を残し、明日帰ることにした。明くる日、治りきらない秀夫を散歩に誘い、関係を持ち、借金のあることを話す。
〈「五万円 ! どうしよう、そんな金僕に出来やしない」
「だからそんなこと言いっこなし。でもね、よく考えれば手はあるんだけど、それをやったら私は人間じゃなくなるの。畜生にも劣る義理しらずになっちまうのよ。ああ、世の中はままならぬもんがわね」〉
その手は、ダイヤの指輪を売ることであったが、小田原の蒲鉾屋の旦那が身請けしたいから、その気になったら言ってくれと、口約束でない証拠にくれたものであった。しかし、それを売って借金を返して、さよならでは人倫に悖る行為である。秀夫は鹿の子の義理知らずになるのを恐れて、安直な道を選ばないことに尊敬の念を持ち、本気で惚れてしまった。午後、また発熱をした。翌日十時過ぎに鹿の子は来た。〈「もう一週間待て。僕がきっと五万円作ってみせる。きっと五万円作って君を迎えに行く」〉と秀夫は言う。こうやって二三日、仮病を使って逢引を繰り返したが、番頭が見舞いに来てバレてしまう。今晩、帰ることになったが、番頭に頼んで、三十分の暇をもらう。公園で鹿の子に合うことが出来た。彼女は、旦那の身請けを承諾したと話す。というのは、秀夫が店から五万円を持ち出す計画が、女のカンでわかったからで、秀夫を罪人にしないためであった。ところが、〈秀夫はすでに鹿の子の自己犠牲の愛情にはつきあいかねたので、それからさんざん彼女の裏切りと不実を責め、こちらが罪を犯してまでと思っている愛情を、浅はかな自己陶酔で裏切ったことを非難攻撃した。〉
二人の結論は義理知らずを実行することであった。東京へ帰った秀夫は指輪を銀座の貴金属商へ持って行くと、時価三百円ほどのガラス製のダイヤであった。鹿の子に売るべきかどうかの手紙をだすが、返事は来ない。一か月も経つと、秀夫は謹直な店員にもどり、鹿の子を忘れていた。秀夫は小指に指輪を嵌めた。指輪の事情を知っている主人は、人から尋ねられると、〈「あれは箱根細工さ」〉と言った。
尾崎紅葉あたりなら、ここから悲恋物語が始まろうが、あっさり終わってしまうところが現代人の気質をあらわしている。三島は「葉隠入門」で現代の恋愛を、以下のように評している。
〈いまの恋愛はピグミーの恋になってしまった。恋はみな背が低くなり、忍ぶことが少なければ少ないほど恋愛はイメージの広がりを失い、障害を乗り越える勇気を失い、社会の道徳を変革する革命的情熱を失い、人間の感情の広い振幅を失い、対象の美化を失い、対象を無限に低めてしまった。恋は相対的なものであるから、相手の背丈が低まれば、こちらの背丈も低まる。かくて東京の町の隅々には、ピグミーの恋愛が氾濫している。〉
秀夫と鹿の子は悲恋ごっこをしていただけで、まさにピグミーの恋愛で、箱根細工はそれを象徴している。


(偉大な姉妹) 昭和26年3月、「新潮」に発表、26年7月、「遠乗会」(新潮社)に収録。

 唐沢槇子と浅子は六十八歳の双子である。槇子(姉)の夫・栗島研一は北支軍司令官として赴任の途上飛行機事故によって戦歿し、浅子の夫・三崎圭三は製紙会社常務取締役として世を去った。二人は大柄であるが、唐沢家の男は概して小柄である。唐沢家の男たちは戦前には出世したけれども、今は零落している。かれらは諦念の気質があったが、それが二人を歯痒がらせた。浅子の家族は藤倉製紙の人事課長の三崎良造と嫁の勝子、長男の源蔵、次男の興造で、次男を除けばこじんまりとして、おとなしく、とても大きなことの出来る人間ではなかった。浅子は興造に戦前の男の面影を発見し、将来を期待した。興造は新制高校一年生であるが、医学生を交えた輪姦の不良グループに属していた。
浅子は偉大なものへの憧れがあった。それは明治二十年代への回帰である。
〈新しい秩序が漸く固まり、なお多くの修正が正しいものと見做されたあの時代には、戦争も、暗殺も、立身出世も、あらゆるものが正義であった。青年は世界を夢みた。子供が早く大人になって深夜までつづく宴会に出ることを夢みるように。たしかにそのころはまだ世界のどこかに大きな饗宴があったのだ。〉
だが、敗戦はすべてを小さくしてしまったのである。興造は、富や名声に関する彼の想像力は凡庸だったが、自分に適した行為がどこかにあるにちがいがないと思っていた。しかし、それまで待たねばならぬことが不満で、悪戯に手を染めたのである。ある日、興造は浅子に短刀を貸してもらえないかと相談した。浅子には歴史の教材に要ると言ったが、グループの同じ高校の一年生・松永の恋人を、二人で強姦するために必要だった。松永はグループの掟で、知り合った女は全員の共用にするというのがあったが、新しくできた恋人を共用するのを躊躇しているうちに興造に嗅ぎつかれ、他のメンバーには内緒ということで、強姦に妥協したのである。浅子は短刀を槇子から借り、興造に渡す。しかし、学生監に見つかって失敗する。良造は新聞種にならないよう努力したが、浅子は冷笑した。浅子は興造に問うと〈「友達の名誉のためです」〉と答えた。この一言で浅子は納得した。浅子は良造に無断で槇子と学校に嘆願に行くが、体よく追い返された。その後、学校が寄付金を必要としているのを知り、二十万円を持って行こうとしたが、良造に見つかって、しかたなく通帳を渡した。数日後、家族に内緒で、浅子と槇子は旅に出る。二人は死のうとして家をでたわけでないが、槇子は不慮の事故で死ぬ。浅子はそのまま姿をくらました……
戦後、強くなったのは女とストッキングだ、というのも古い話であるが、浅子と槇子がとりわけ強かったわけでなく、男が弱くなって目立ってしまったのである。巨体は強さのメタファーである。マイホーム・パパへのイロニーであり、警鐘の作品である。エピローグで姉妹が姿をくらますのは、戦後における強さの敗北を暗示している。興造もやがて時代の力に抗しきれなくて、マイホーム・パパに成り下がるだろう。小説は中だるみがあって、冗長の感じは否めない。


(朝顔) 昭和26年8月、「婦人公論」に発表、33年8月、「三島由紀夫選集」第10巻(新潮社)に収録。

 妹・美津子の思い出と夢。小説とエッセィを混ぜたような小品。三島の妹・美津子は昭和20年10月、聖心女子学院在学中に腸チフスで亡くなる。17歳であった。三島は「終末感からの出発」で〈日本の敗戦は、私にとつて、あんまり痛恨事ではなかつた。それよりも数ケ月後、妹が急死した事件のほうが、よほど痛恨事である。私は妹を愛してゐた。ふしぎなくらゐ愛してゐた。死の数時間前、意識が全くないのに、『お兄ちやま、どうもありがとう』とはつきり言つたのを聞いて号泣した。〉と書いている。美津子が生きて居たら、三島の人生も違っていたかもしれない。


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