三島由紀夫・伊藤勝彦著・対話・反ヒューマニズムの心情と論理

「対話・思想の発生」・伊藤勝彦著(昭和42年11月/番町書房)より

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伊藤 そうですね。日本の場合、ヒューマニズムというのは思想でなくて、「かわいそう」というような低い感情の次元にとどまっている。これは困ったことだと思うんです。「かわいそう」という感情の底にあるのは、自分は危険のない場所でみておれるという安心感で、これはおそろしく無責任な気分ですよ。
三島 そこでこんどはパラドックスが出てくるんですね。死んだり、ひどい目に会った人への同情から、こんどは自分が死にたくないという気持ちへ転化してきて、それが戦争反対にしろ、ベトナム反対にしろ、原爆反対にしろ、こんどは自分が大事だ、手前が大事だということからしか発想ができなくなるんです。
伊藤 日本人のヒューマニズムというのは、まったくの自己中心主義、エゴイズムなんですね。
三島 すべての人間が被害者であると同時に加害者である。それが被害者の面だけからしか発想が出てこないで、加害者の面では、こんどはギルテイ・コンシャス(罪障感)になっている。そうすると、こんどはお詫びすればいい。すみませんでした、と言えばいいというので、それでまたそういうほうで一連の発想がある。日支事変で中国に対して申訳ないことをしましたということ。原爆落とされても、こんなあやまちは二度と繰り返しません、ということ。こんどは加害者の立場になると、被害者、加害者、両方の立場を全部そこにまるめこんじゃう、一つのもやもやして、エモーショナルな核が日本人の中にできちゃっていると思うのです。もともとあるものだけれども。それがいろんなものを動かしている。政治も動かしておれば、思想も動かしている。

……上は「対話・反ヒューマニズムの心情と論理」から重要だと思われる部分を抽出したもので、実際の対話は、前後にもっと長い。かなり的を得ているんじゃないかと思う。なんでも、かんでもお詫びしちゃえ、という思想、と言うよりは感情は、日本人の中にあって、島崎藤村の「破戒」が名作なのも、太宰治が尊ばれるのも、このためである。とくに戦後は左傾文化人がこの摩訶不思議な美徳?を称賛した結果、対中韓問題が異常な勢いで進化し続けている。お詫びしちゃえは、外国では罪を認めることになるので(当り前だが)、中韓が喰いついてくるのも道理というものである。はっきり言えば、戦後民主主義という嫌らしい思想のことで、自虐趣味でもある。こういう悪習は一刻も早くドブに捨てるべきである。
本書は伊藤勝彦氏(当時北大文学部助教授)が、自分の思想表現の手段として対話をという形式を用いたものである。三島由紀夫は選ばれた一人で、この対話については「最後のロマンティーク三島由紀夫」( 平成18年・新曜社刊)で触れられているのではないかと思う。因みに大学教員多数との討議が二篇、対話は三島他、森有正、吉本隆明である。伊藤氏は吉本から三島由紀夫の感想を聞きだした。

吉本 ぼくが戦争中読んで知っている三島由紀夫という人は、かなり近代的というか、近代主義的な人であったという記憶を持っているのですよ。つまり、あの人のまっとうな文学者の系譜というものは『仮面の告白』から『金閣寺』、そういうところにあって、おっしゃる『英霊の声』ですね、ああいうところには、ほんとうはないんじゃないかというのがぼくの印象なんですけれどもね、つまり、厳密に論じたことはないのですが、あの人は戦争中に『花ざかりの森』という本を出しまして、ぼくは読んだのですけれども、その印象では近代主義的な人だという印象が濃いのです。だからどうしても『英霊の声』みたいなものを見ると、どうもモチーフがよくわからないなというように考えるわけですね。そこのところはどうもよくわからない。林房雄との対談での発言というものも、ぼくにはよくわからない。

林房雄との対談は、「対話・日本人論」(昭和41年/番町書房刊)のことだろう。三島由紀夫も「共同幻想論」を読んでいたことは、古林尚との対談で知られる。文化防衛と共同幻想の討論はが実現しなかったのは、一説には吉本側が準備不足のため拒否したとも言われているが、惜しまれる。「対話・思想の発生」は伊藤勝彦氏が伊藤勝彦氏のために著わした書であるが、三島事件以降は三島由紀夫との対話から事件の手がかりを探すために読まれたのではないかと思われるが、しかたがないだろう。という私もその一人で、三島以外の対話、討議は割愛した。


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