澁澤龍彦著・ヨーロッパの乳房

「ヨーロッパの乳房」・澁澤龍彦著(河出文庫)

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 1970年9月、澁澤は初のヨーロッパ旅行に出かける。このエッセィは旅行で見聞した様々な経験をもとに書かれたものである。本書に出ていない挿話として、8月31日、日本を旅立つ澁澤は、空港で見送りの三島由紀夫と会った。三島は「盾の会」の制服制帽姿で人目を引いた。澁澤は、〈出不精で有名な僕が、ようやく腰をあげて、ヨーロッパくんだりにでかけようってんですからね。飛行機が落ちて、奇蹟的に死ぬかもしれませんよ〉と言うと、三島は〈はっはっはっ〉と例の呵々大笑し、外国旅行に初めて出る澁澤に細々と注意を与えた。二カ月余のち、飛行機事故にも会わずに日本に帰って来たが、三島に会うことなく、11月25日を迎えた。空港での別れの握手が、澁澤と三島の最後の握手となった。以上は「三島由紀夫氏を悼む」より。
見送りに来たときは死を覚悟していた三島であるが、死んだのは奇蹟的であった。エッセィで三島に言及しているのは、「バロック抄 ボマルツォ紀行」で香港のタイガー・バーム・ガーデンについてだけである。
今回の旅行の目的は、ヨーロッパのバロック趣味を求めてであった。
〈バロックとは、もとポルトガル語のbarrocoで、ゆがんだ真珠を意味する普通の言葉だったという。それが美術用語に転用されて、風変りなもの、不均等なもの、要するに反古典主義的なものの貶下的な呼称となったのは、十八世紀後半のフランスからであった。古典主義の概念が確立したとき、そこから逸脱したものがバロックの名で呼ばれたわけである。現在でも、文芸用語として、あるいは日常の用語として、バロックは怪奇趣味、ごてごて趣味、芝居がかり、装飾過剰などといった悪い意味をふくんでいることに変りはない。この長いあいだ蔑視されていたバロックなるものを、あらゆる人間精神の常数と見なし、いわば初めてバロックの復権を企図したのがスペインの硯学エウヘニオ・ドルスであった。こうして、バロックは単に、十七世紀から十八世紀にかけて、南欧および西欧に現れた時代的現象にとどまらず、いつの時代においても、またどこの国においても、繰り返し現われ得る人間の本質的な表現様式ということになった。〉
澁澤のエッセィ自体がバロック趣味もいいところであるが、バロックには猥褻の血が流れているように思う。普段は人間の奥底に隠されている卑しいものが、芸術に結晶したときにバロック趣味になるのだろう。こう考えれば、バロックこそが人間的であるかもしれない。それゆえに嫌悪されるのである。タイトル「ヨーロッパの乳房」の意味は、豊饒なるヨーロッパのバロック趣味といったところか。澁澤には旅行案内などは不要の書であったはずである。彼自身がガイドブックであるからだ。澁澤は書斎派の巨人であった。巨人が本物に触れたとき、一滴のエッセィが乳房から流れ落ちたのである。


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