三島由紀夫著・旅の墓碑銘・ラディゲの死・復讐・施餓鬼舟

「ラディゲの死」・三島由紀夫著(新潮文庫)より

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(旅の墓碑銘) 昭和28年6月、「新潮」に発表、29年10月、「鍵のかかる部屋」(新潮社・昭和名作選5)に収録。

 著者は昭和26年12月、朝日新聞特別通信員として世界一周旅行に出かける。北米から南米、欧州を回る。旅行記は「アポロの杯」。巴里を除き、訪れた地には満足であった。巴里では旅行者小切手の盗難に会い、約一カ月パリ滞在を余儀なくされ、手元に残った金は僅かであった。その間に書かれたのが「夜の向日葵」である。「旅の墓碑銘」には盗難の挿話があるが、この経験から得たものであろう。
主人公・菊田次郎も世界の国々に旅してから、ほぼ一年になる。面倒な仕事が終わったので心身を休めるために旅に出た。ホテルは、俗悪な温泉町のA市中心部から少し隔たった閑静な一劃にあった。次郎は人の声や空模様から同時性の幻覚を呼び覚ました。〈遠い新潟の雪とA市の雪のない夜との同時存在……〉〈夢の中の巴里と日本の重複、冬の季節と花咲いた桜の重複、晴れた空と霙の重複……〉
しかし、自分が見ている世界は、考えている世界は、本当に存在しているのかの疑いが萌す。
〈認識の中にぬくぬくと坐っている人たちは、いつでも認識によって世界を所有し、世界を確信している。しかし芸術家は見なければならぬ。認識する代りに、ただ、見なければならぬ。一度見てしまったが最後、存在の不確かさは彼を囲繞するのだ。〉
次郎の固定観念は「表面」乃至「外面」で、自分の存在の不確かさに不安になる。自分の見た世界を確かなものにするため、自分も世界の「表面」乃至「外面」にならなければと思う。事物における「表面」と「内面」の問題提起をした作品。議論は十分に展開されないが、著者がギリシア彫刻のような肉体に興味を持ったのは当然の帰結であり、行動主義に傾いたのも、世界を変えるには認識でなくて行動のみと結論されたからである。後年の思想の萌芽がみられるが、小説としては難解である。


(ラディゲの死) 昭和28年10月、「中央公論」に発表、30年7月、小説集「ラディゲの死」(新潮社)に収録。

 〈全体の題にした「ラディゲの死」は、この集の中の代表的な作品でもないし、出来のよい作品でもない。しかしこの題をして、私は自分の或る心の歴史を暗示させた。ラディゲは、永いこと私の中で暴威をふるひ、私に君臨しつつ、生きてゐた。しかし今では、ラディゲはそれほど私をおびやかさない。彼はすでに、私より十歳も年下の少年である。私を威嚇してゐたラディゲは、やうやく、私の中で死んだのである。〉「ラデイゲの死」/作者あとがきより。
三島の少年期におけるラディゲへの傾倒ぶりは言うまでもないが、自分をラディゲと重ね合せ、夭折するであろうことを確信していたが、戦争で華々しい死を遂げる夢は打ち砕かれ、けだるい戦後の生活が始まった。戦争の終わりは、ラディゲへの訣別でもあったろう。ラディゲの病床と死を書く本作は、他人のためと言うより、自分のために書いた作品である。詩を書く少年への訣別でもある。


(復讐) 昭和29年7月、「別冊文藝春秋」に発表、31年6月「詩を書く少年」(角川書店)に収録。

 構成的に書かれた好短編。ある避暑地にある暗い感じの家に住まう五人の家族が倉谷玄武という男の復讐に怯え暮す話。この一家は食事中、会話が途切れると、いっせいにどこかへ耳を澄ます態度をとる。また戸締りは厳重であった。家族のメンバーは三十四歳の近藤虎雄を当主とし、妻の律子、虎雄の母・八重、虎雄の叔母に当たる正木奈津とその娘・治子である。
一家は山口清一という男から玄武の情報を得ていた。というのは八重の死んだ夫は内務省の官僚であったが、彼が恩を施した山口が、偶然にも、玄武のいる同じ村に生家を持っていて、読書に親しみながら病を養っていることがわかったからである。夕食後、〈倉谷玄武死す。山口〉の電報が届く。一家は安堵に包まれる。だが、八重が再び一家を恐怖へ向かわせる言葉を吐く。〈電報なんてあてになりませんわ。きっとあの電報は、生きている玄武が打たせたんです〉虎雄は元陸軍中尉であった。倉谷玄武の息子は彼の部下であった。虎雄に戦犯の罪をなすりつけられ、絞首刑にされた息子の復讐を玄武は企んでいた(いる)
安堵と共に緊張感の無くなった退屈な日々が訪れるのを恐れるあまり、八重は不吉な言葉を吐いたのである。近藤一家と倉谷玄武の関係はエピローグまでわからない。近藤家の翳りの原因を読者に教えず、不安を煽る手法は手慣れたものである。


(施餓鬼舟) 昭和31年10月、「群像」に発表、31年1月「橋づくし」(文藝春秋社)に収録。


 夏の夕刻、熱海魚見崎の海風楼の一間に作家・鳥取洋一郎とその一人息子・房太郎が食卓を囲んでいる。洋一郎の前妻・克江が養老院で急死したので、房太郎を呼び出しのである。なぜ、洋一郎は前妻に対して冷血であったかを説明するためで、それは房太郎の知りたいことであった。房太郎は後妻(前妻は籍に入っていなかったから、正確には後妻ではない)の子で、すでにその母も亡くなっている。克江との生活は三度の食事にも事を欠くみじめなものであった。そういう環境の中で克江は娘を産んだ。洋一郎は克江の不注意を咎めて、克江を打擲したものである。娘も愛することが出来なかった。(娘もすでに死んでいる)作家として人間的なものへ身を沈めてはならないという確信を抱いていたからである。〈幸福とは、人間的なものすべてとの親和の感情だ〉だが房太郎の母との生活は幸福そのものだった。〈人間的なものすべてと私は和解して、この世のしきたりをみんな受け入れた〉母が死んだとき、女々しいほど泣いた洋一郎であるが、〈しかしね、お前には言いにくいことだは、お母さんが死んでくれたのは、私にとって恩寵だったのだよ〉と本音を語った。なぜなら〈……お母さんとの短い結婚生活のあいだ、私は芸術の幸福な定義を一生けんめい探していた。人間的なものに埋没した芸術の定義を。しかし困ったことに、幸福な状態は、幸福について考えるのにさえ適していない。そこで自分が不幸だと思う。しかし又、そんな風に不幸だと思うことが、光りかがやくばかりの喜びを私に与えた〉からである。「復讐」と主題は同じで、芸術家の立場から考察した作品。


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