押川春浪著・海底軍艦

「海底軍艦」・押川春浪著(ほるぷ出版復刻版)

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 明治三三年十一月十五日、博文館刊。テキストに使用したのは、ほるぷ出版の復刻版で、真新し過ぎるのを我慢すれば、これでも十分、往時の読書は味わえる。
海底軍艦といえば、すぐに思いつくのは、東宝特撮映画で昭和時代に何度もテレビで放送された。帝国海軍の生き残りである神宮司大佐が仲間と日本を脱出、孤島で無敵の轟天号をひそかに建造し日本海軍の再興のために役立てたいと考えたが、時すでに遅し、轟天号が日本で活躍する場はなくなっていた。そのころ海に没したムウ帝国人が世界征服をもくろんでいた。轟天号はムウ帝国軍と戦うことになる。マンダという竜が登場するが、細くて、ぎくしゃくした動きで弱そうだった。迫力の点でゴジラやモスラに劣る。この映画の原作ともいうべき作品である。対象は小学校高学年以上か。総ルビに近いが、現代では大人でも面倒になるかもしれない。かなりの分量がある。
発端は世界漫遊をしている柳川龍太郎が、日本へ帰るためイタリアのネープルス港で弦月丸の出航を待っていると、高等学校時代の友人・濱島武文のことを思いだした。濱島はイタリアで貿易商として成功していると聞いている。さっそく訪ねると立派な風采をした濱島が待っていた。昔話に花が咲いたが、今夜の十一時半に妻・春枝とその子・日出雄も弦月丸に乗るという。妻の兄・松島海軍大佐の看病と、日出雄を海軍軍人にしたいため日本で教育を受けさせたいためであった。弦月丸はネープルス港を出る。印度洋上で海賊船に襲われ撃沈される。柳川と日出雄は小端艇に乗ることができたが、春枝は行方知らず。このとき真っ先に逃げたのは船長以下船員であった。外国人の卑劣なる行為を描いているのは時代を反映している。大海原に漂うこと十数日間、二人は魚を捕まえて食糧とし、生きながらえた。ある朝、椰子、橄欖の葉が青々と茂る島を発見する。二人は島に上陸した。島を探検しているうちに、いつしか猛狒(ごりら)が現れて、二人を襲うとしている。このとき森の中ら二人の日本人が現れ、猛狒を退治した。一人は櫻木海軍大佐、一人は部下の武村兵曹であった。
これから、いよいよ海底軍艦建造の場面に入るわけである。櫻木海軍大佐といえば、今から一年半以上も前に、ある秘密を抱いて三七人の水兵と日本を立ち去った人物であった。櫻木によれば、この島は印度洋から南方にある無人島で、一番近いマダカスカル群島へ一千マイル以上、アジア大陸やヨーロッパまでは幾千百マイルあるか、わからない。柳川と日出雄は基地で歓待を受ける。櫻木は島から、さる計画のため(この時点では海底軍艦建造を話していない)三年は出られないと打ち明けられた。幾日か経って、柳川は海底軍艦建造を櫻木から打ち明けられる。
〈此秘密は、実に私の生命です。今は数年の昔、君は御記憶ですか、汽船の甲板で、私が奇妙なる詩を吟じ、また欧州列国の海軍力の増加と、我国の現況を比較して、富の度より、機械学の進歩上より、我国は今日の如く、啻に数艘の軍艦の多くなった位や、区々たる軍器の製造にも、多く彼らの後を模倣して居る様では、到底東洋の平和を維持し、進んで外交上の一大権力を握ることは覚束ない、一躍して、欧の上に、米の上に、位するようになるには、ここに一大決心を要する。すなわち震天動地の軍事上の大発明をなして、その発明は軍機上の大秘密として、我国にのみ特(ひとり)にあり、他邦には到底見るべからず、欧米諸国も之ある限りは、最早日本に向かって不礼を加ふる可ずとまで、戦慄恐懼するほどの大軍器の発明を要すると申した事を、かの時は、君も単に快哉と叫んだのみ、私も一の希望として、深く胸の底に潜めて居つたが、其後幾年月の間、苦心に苦心を重ねた結果、一昨年の十一月三十日、私が一艘の大帆走船に、夥しき材料と、卅七名の腹心の部下とを搭載て、はるばる日本を去り、今や此無人島に身を潜めて居るのは、全く、兼て企つる、軍事上の一大発明に着手して居るのです― ―。左様、不肖ながら、此櫻木が畢生の力を尽くして、我帝国海軍の為に、前代未聞の或有力なる軍器の製造に着手して居るのです。〉
ここには明治三十年当時の日本と欧米列強との時代背景が反映されている。明治二十七年、朝鮮半島の権益をめぐって日清戦争がはじまる。翌二十八年、日本は戦争に勝ち下関で日清講和条約が調印された。日本は清国から賠償金と領土を得ることになった。が、露・仏・独の三国干渉により遼東半島を返還したのである。甘んじて屈辱を受け入れた要求は、世界における日本の立場の弱さを如実にあらわしている。欧米列強に軽んじられない国家建設のため、ぜひとも彼等の兵器を凌ぐ兵器開発が必要と押川春浪は考えたのである。この状況は現在でも変わっていない。
櫻木の秘密造船所で作られつつある海底軍艦は電光艇と命名されていた。竣工の暁には日本の東洋における地位を絶対的なものにする兵器である。柳川は櫻木の好意により、食って寝て、その日の来るのを待って居ればよいと言われたが、話を聞いて黙っていることはできず、自分も何でもよいから参加したいと申し出る。が、櫻木は人数は足りているという。二人の話を聞いていた武村兵曹はよいことを思いつく。それは櫻木も考えていたことであるが、この無人島に記念塔を建てることを提案した。というのは、この島はどこの国の帰属ということになっておらず、国際法から言っても〈地球上に、新たに発見されたる島は、其発見者が属する国家の支配を受く〉の原則で、当然日本の帰属となるが、自分らが立ち去ったあと、その証拠として記念塔が必要と考えたのである。無人島は〈朝日島〉と命名されている。その記念塔は猛獣や毒蛇のいる深山に建てたい。万が一、外国人がやってきても、危険で入ることはできないからである。さて、その深山に向かうための冒険鉄車の製造に着手してはどうかと。設計図はすでに出来上がっていた。
柳川は快諾した。後日、自国の領土であると主張するためには、はっきりとした証拠が必要である。尖閣が中国につけこまれるのも、日本側に自国の領土であるという絶対的な証拠がないからである。国の境界線が陸地でない国の甘さといえるだろう。冒険鉄車の製造には日出雄も手伝うことになった。三年後の二月十一日、海底軍艦はほぼ完成し、冒険鉄車も出来上がった。冒険鉄車の図は本書に一葉添えられている。作者は中村不折である。なんとも不格好な代物であるが、往時としては、想像力を働かせてもこれが精いっぱいであろう。

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柳川と日出雄、武村兵曹、それに二名の水兵、秘密造船所の愛犬・稲妻が鉄車に乗り込むこととなった。道中、襲いくる猛獣の攻撃に鉄車はビクともしなかった。〈大日本帝国新領地朝日島〉と書かれた大理石の記念塔を無事、建てることができた。往復五日の予定が、二日目には帰路に就くようになった。そこで柳川の発議で寄り道をして探検する運びとなった。しかし、すり鉢の形をした大きな穴の中へ鉄車は陥落してしまった。それは〈砂すべりの谷〉と呼ばれるものである。非常な力で車輪を回転して、脱出を試みたが無駄であった。周りを猛獣が取り巻いた。柳川は稲妻を使者として、櫻木大佐に助けを求める案を思い付いた。稲妻の首輪に助けを求める文書を畳み込み鉄車の外へ放した。稲妻は猛獣どもを振り切って、森林の中へ消えた。七日目になったが、助けは来なかった。食糧と飲料水が尽きた。九日目、空から一発の銃声が響いた。櫻木大佐は軽気球で助けに来たのであった。皆は綱を伝わって軽気球に乗り込んだ。
翌二月二十一日は紀元節で、すなわち海底軍艦の試運転の当日である。試みは成功した。これより十日以内に朝日島を出発する予定である。大祝賀会のあと、櫻木大佐らは海底軍艦に再び赴いた。その夜、大津波が島を襲った。海底軍艦はビクともしなかった。翌朝、海底軍艦から櫻木大佐らは上陸したが顔色がよくない。秘密造船所にある海底軍艦の生命が津波で流されてしまったと感じていたからである。海底軍艦の生命とは十二の樽で、海底軍艦のすべての機関は、秘密の十二種の化学薬液の作用で活動するのである。多少は艇に残っているが一千海里以上進行するには足りない量であった。櫻木大佐は先日の軽気球にて、薬液を印度のコロンボ市か、その他の大陸地方の都に行って、薬液を買い整えることにした。この任務に柳川と武村兵曹が就くことになった。ここから端折ってしまうと、二人が乗った軽気球は印度洋に特産の海鳥・ダンブロー鳥に襲われ墜落。ちょうど通りかかった白色巡洋艦・日の出に助けられる。艦長は松島海軍大佐であった。松島は櫻木海軍大佐と親友で、濱島武文の妻・春枝の兄であるのは言うまでもなく、すなわち日出雄にとっては叔父にあたる人である。柳川から、これまでの経緯を聞いた浜島はコロンボで十二の薬品を買い整えることにする。巡洋艦には濱島武文と春枝も乗っていた。海賊に襲われたとき、柳川の投げた浮きにすがって、浪のなせるままに漂っていると、翌日になって英国の郵便船に助けられて、再びネープルスの家に帰ることができたのであった。巡洋艦・日の出と海底軍艦・電光艇は襲いくる海賊船を撃沈し、日本へ向かう……。
帝国海軍に架空の物語をうまく溶け込ませているのが妙。電光艇は試運転の段階で、本格的な戦闘シーンはないが、来るべき列強との戦闘が予想できる。


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