寺山修司著・死者の書

死者の書・寺山修司著(土曜美術社)

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 エッセイ集。改行なしの文章がなんとも不気味な味を出している本で、死者のうめき声があの世から聞こえてきそうな、あきれるほど悪趣味でセンスのよい体裁の造本である。しかし現実は残念であるが、生きている人間に本当のところ、死者というのは医学、生物的にであれ、哲学、宗教、文学的にであれ、いつでも生の立場から客観的に俯瞰するのが精一杯で、それは生を基準にした死であるから、死者の懐に飛び込んで死を理解すること、つまり死を原体験して、その本質を理解するのとは違うのである。ちょうどわれわれが自分の存在は理解できても無ということの本質を理解できないのと同じなのだ。だから人類の経験値と憶測で語るより方法が、今のところないのである。それだけに想像力の翼を伸ばしても差し支えないのである。
「死者の書」は死そのものを突き詰めて語ったものではないが、世界一、安全な国日本に蔓延る死の系譜を、高々と論じたナンセンス・エッセイである。本書にまともに付き合うのは莫迦々々しい。ビジネスに忙しい人は、本書を開くよりも日経新聞を読むことをお勧めする。株が一円上がった、下がったで一喜一憂していたほうが、よほど精神衛生上よいだろう。

「死者の書」が世に出たのは1974年である。平成生まれの人には馴染みのない森恒夫らの連合赤軍粛清事件、岡本公三ら日本赤軍のテルアビブ空港乱射事件、ミュンヘン・オリンピックでイスラエル選手がゲリラに殺害された事件を論じているのは、いかにも時代を反映している。森恒夫と岡本公三に詩人の感性で若干の同情を寄せているのも70年代的である。
彼らを革命家と呼ぶのは持ち上げすぎだ。革命という美酒に悪酔いした単なる殺人者で、革命の論理など初めから持ち合わせておらず、誇大妄想の結実した偉大なる虚構の産物に過ぎない。政治的要求を達成させるため(そもそも達成の見込みは犯人にないだろう)、関係のない弱者に銃口を向けるのは、今も同じで卑劣極まりない。これでは身代金誘拐犯と同じで民衆の共感はとても得られない。革命家であるには、殺人よりも、自分が革命のために死ねるかである。

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