松原岩五郎著・最暗黒の東京
「最暗黒の東京」・松原岩五郎著(岩波文庫)
文学と言えば、だいたいが創作のことで人の感情に訴えて喜ばせたり、悲しませるものを指すが、文学の社会的使命とも言うべきものが記録文学だろう。ある時代の資料として後世に伝えて行くべきものを記録することは地味な仕事であるが、あとになって見れば歴史を補完しているわけで貴重な仕事であると思う。「最暗黒の東京」は明治25、6年の東京の下層社会を書いたものである。著者松原岩五郎は、実際に下層社会に潜入し取材した。日清戦争(明治27年)の少し前のことだ。明治維新も文明開化も関係ない人々がいたのである。
― 生活は一大疑問なり、尊きは王公より下乞食に至るまで、いかにして金銭を得、いかにして食を需め、いかにして楽み、いかにして悲み、楽は如何、苦は如何、何によッてか希望、何によってか絶望。―
上は「最暗黒の東京」の冒頭である。経済が人生にとって一大事であるのは説明を必要としないが、経済が満たされていれば人生の可能性は拡がる訳で、反対に経済が逼迫していれば人生は経済のためにあるようなものである。経済抜きで人生を語れないのは残念であるが事実である。経済が人を高貴にもし卑しくもする。松原は日雇い周旋屋を通じて残飯屋の下男として下層社会に潜入する。これは士官学校の残飯を安価で引き取り、店先で売る商売である。荷車を曳きながら往来を通れば貧民が車のあとに入れ物を持って付いてくる有様で、店先は黒山の如くであるというから、食料の窮乏著しいことがわかる。これを秤にかけて売る。即ち表紙画の図がそれだ。残飯に加えて容器の不衛生を考えれば、とても現代人が食するものではないだろう。衣類、住居にしても汚さ、不衛生は尋常でなく、塵と排泄物が隣り合わせの生活だった。
彼らは怠惰で最低生活をしているわけではなかった。今で言う、「ワーキング・プア」に近い。彼らも高い収入の職に有り付きたいたいのだが、その方法と能力がなかったのである。しかたなく、末端の労働で甘んじた。
例えば、青物市場から八百屋まで品物を運ぶ仕事があるが、これが最下層の低賃金で肉体労働であった。しかし、この運搬人がいないと八百屋に野菜は並ばないわけで、菜っ葉一束買うにも困る事態が発生する。これは松原も指摘しているところだが、末端の仕事をする人がいないと経済は滞る。低賃金の労働を賤業と混同されがちだが誤りである。松原は運搬人の低賃金はあらゆる方面の中間搾取の結果であると言っている(ただし、社会主義の見地はないと思う。)現代でも中間搾取はあるわけで、むしろ人材派遣業などは完全に労働の搾取をしているから賤業と呼ぶにふさわしいだろう。
かって三島が学生との対話で、 …日本で餓死しようと思ったら、自衛隊でレンジャーやるしかないんだよ…と冗談交じりに言っていたのを思い出す。昭和43年頃の事だ。ずいぶん前だけれど、すでに日本は食料に不自由しなかったのである。腹が減って道に倒れていれば、誰か警察に通報しておにぎりのニ、三個は恵んでもらえるだろう。私にしても今日は大丈夫だ、明日も明後日も…、一年後の今日は保証できないが。明治中期には、今日の飯の算段がつかない者が東京に大勢いたのである。とにかく今日食べることだけを考えればよかった。明日のことは、明日考えればよいのだ。彼らはそれほど貧乏であった。しかし彼らの生き方に力強いものを感じる。少々のことでメソメソしたりはしない。貪欲なまでに生きることに専念する人間の原初的な力強さがある。ノイローゼなどは裕福がいけないのかもしれない。貧民には、考える暇などなかったのである。
― 人力車 ―
映画や芝居、小説で明治を彩る小道具として人力車は欠かせないものである。粋な兄さんのイメージがあるけれども、彼らはだいたいが下層社会の者であったらしい。人間に牛馬の代わりに俥を曳かせるのは贅沢にも思えるのだが、これが低賃金であった。東京といえ登り坂や下りもあるわけで、重労働に違いはないと思う。この本が書かれた頃は東京中に六万の俥があったという。すでに過当競争で、深夜営業の者もいた。客の奪い合いで車夫同士の乱闘も日常であったらしい。
文学と言えば、だいたいが創作のことで人の感情に訴えて喜ばせたり、悲しませるものを指すが、文学の社会的使命とも言うべきものが記録文学だろう。ある時代の資料として後世に伝えて行くべきものを記録することは地味な仕事であるが、あとになって見れば歴史を補完しているわけで貴重な仕事であると思う。「最暗黒の東京」は明治25、6年の東京の下層社会を書いたものである。著者松原岩五郎は、実際に下層社会に潜入し取材した。日清戦争(明治27年)の少し前のことだ。明治維新も文明開化も関係ない人々がいたのである。

― 生活は一大疑問なり、尊きは王公より下乞食に至るまで、いかにして金銭を得、いかにして食を需め、いかにして楽み、いかにして悲み、楽は如何、苦は如何、何によッてか希望、何によってか絶望。―
上は「最暗黒の東京」の冒頭である。経済が人生にとって一大事であるのは説明を必要としないが、経済が満たされていれば人生の可能性は拡がる訳で、反対に経済が逼迫していれば人生は経済のためにあるようなものである。経済抜きで人生を語れないのは残念であるが事実である。経済が人を高貴にもし卑しくもする。松原は日雇い周旋屋を通じて残飯屋の下男として下層社会に潜入する。これは士官学校の残飯を安価で引き取り、店先で売る商売である。荷車を曳きながら往来を通れば貧民が車のあとに入れ物を持って付いてくる有様で、店先は黒山の如くであるというから、食料の窮乏著しいことがわかる。これを秤にかけて売る。即ち表紙画の図がそれだ。残飯に加えて容器の不衛生を考えれば、とても現代人が食するものではないだろう。衣類、住居にしても汚さ、不衛生は尋常でなく、塵と排泄物が隣り合わせの生活だった。
彼らは怠惰で最低生活をしているわけではなかった。今で言う、「ワーキング・プア」に近い。彼らも高い収入の職に有り付きたいたいのだが、その方法と能力がなかったのである。しかたなく、末端の労働で甘んじた。
例えば、青物市場から八百屋まで品物を運ぶ仕事があるが、これが最下層の低賃金で肉体労働であった。しかし、この運搬人がいないと八百屋に野菜は並ばないわけで、菜っ葉一束買うにも困る事態が発生する。これは松原も指摘しているところだが、末端の仕事をする人がいないと経済は滞る。低賃金の労働を賤業と混同されがちだが誤りである。松原は運搬人の低賃金はあらゆる方面の中間搾取の結果であると言っている(ただし、社会主義の見地はないと思う。)現代でも中間搾取はあるわけで、むしろ人材派遣業などは完全に労働の搾取をしているから賤業と呼ぶにふさわしいだろう。
かって三島が学生との対話で、 …日本で餓死しようと思ったら、自衛隊でレンジャーやるしかないんだよ…と冗談交じりに言っていたのを思い出す。昭和43年頃の事だ。ずいぶん前だけれど、すでに日本は食料に不自由しなかったのである。腹が減って道に倒れていれば、誰か警察に通報しておにぎりのニ、三個は恵んでもらえるだろう。私にしても今日は大丈夫だ、明日も明後日も…、一年後の今日は保証できないが。明治中期には、今日の飯の算段がつかない者が東京に大勢いたのである。とにかく今日食べることだけを考えればよかった。明日のことは、明日考えればよいのだ。彼らはそれほど貧乏であった。しかし彼らの生き方に力強いものを感じる。少々のことでメソメソしたりはしない。貪欲なまでに生きることに専念する人間の原初的な力強さがある。ノイローゼなどは裕福がいけないのかもしれない。貧民には、考える暇などなかったのである。
― 人力車 ―
映画や芝居、小説で明治を彩る小道具として人力車は欠かせないものである。粋な兄さんのイメージがあるけれども、彼らはだいたいが下層社会の者であったらしい。人間に牛馬の代わりに俥を曳かせるのは贅沢にも思えるのだが、これが低賃金であった。東京といえ登り坂や下りもあるわけで、重労働に違いはないと思う。この本が書かれた頃は東京中に六万の俥があったという。すでに過当競争で、深夜営業の者もいた。客の奪い合いで車夫同士の乱闘も日常であったらしい。
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